『べらぼう』“蔦重”横浜流星は何が変わった? 森下佳子脚本の秀逸な夢のリアリズム

しかし、そこで改めて思うのは、この蔦重という人間の魅力は、果たしてどこにあったのか、ということだった。これと見込んだ人に対しては、自らの「夢」を大いに語り、巻き込んでゆくような人物。かつての瀬川/瀬以(小芝風花)とのやりとりを思い出すまでもなく、荒唐無稽な「夢」を明るく無邪気に話す彼の姿は、確かに魅力的だった。
実際、吉原から日本橋へと進出し、その「夢」のひとつを実現させた彼の行動力も素晴らしかった。けれども、そこで思うのだ。晴れて日本橋・耕書堂の主人となって以降、彼のまわりに多くの人々が集まってきたのは、彼が描き出す「夢」が魅力的だったからなのだろうか。無論、それも少なからずあるだろう。しかし、それ以上に大事なのは、彼の「人を巻き込み動かす力」だったのではないか。それが近頃、どうも裏目に出ているというか、ていの言う通り、どこか独り善がりに陥って、人を動かすどころか周囲の人々から冷やかに見られている始末である。もはや、無邪気な若者とは言えない年齢となった彼が、再び輝くことはあるのだろうか。

第40回「尽きせぬは欲の泉」の中に、蔦重とていの、こんな何気ないやり取りがあった。歌麿の描いた下絵を眺めながら、どうにかしてこれを錦絵として世に出したいと考える蔦重に、「歌さん、やってくださるでしょうか?」と問い掛けるてい。それに対して蔦重は、「まぁ、案思だな。こういうときは案思しかねえんだよ」「あれやこれやを吹き飛ばしちまうぐらいやりてえって思うような」と返すのだった。そう、「案思(あんじ)」である。
本作においては、第19回「鱗の置き土産」で初めて登場した、この「案思」という耳慣れない言葉。厳密には「作の構想のこと」を指すようだが、蔦重の場合はそれだけではなく、「どうにかして、自分が書きたいと思わせる」――すなわち「人を巻き込み動かす」魔法の「お題」としての意味合いを持っているようだ。当時は反目していた鶴屋(風間俊介)お抱えの戯作者であり絵師であった春町をなびかせるため、蔦重は近しい者たちを集め相談し、春町が書きたいと思うような「案思」を考えた。

さらには、一度は筆を折った春町に、再び筆を取らせるためには、どんな「案思」を投げるべきなのか。それを周囲の人々と喧々諤々相談するという回もあった(第22回「小生、酒上不埒にて」)。そう、「夢」というほど大仰なものではないけれど、自ら「お題」を設定し、それぞれの思いつきを自由に開陳し合うような「場所」を作ること。それこそが、耕書堂の主人たる蔦重の誰よりも長けたところであり、何よりの魅力ではなかったのか。今の蔦重には、それが足りないのだ。依然として人々が「感心」するような独自の発想力はあっても、誰もが思わず「関心」を持ち、自らも参加したくなってしまうような「案思」――人々を巻き込み動かしてしまうような「お題」の設定が、今の蔦重にはできていないように思うのだ。
さて、気がつけば11月となり、もはや残り回数もわずかとなった本作だが、蔦重最後の大仕掛けと言えば、やはり謎多き絵師「東洲斎写楽」の売り出しになるのだろう。現時点で「写楽」のキャストは発表されていない。果たしてこれは、どういうことなのだろうか。

大いに夢を語り、あるいはその主義主張で人々を魅了してゆく主人公は、これまで数々見てきた。しかし、どうやら本作の主人公である蔦重は、それとは少し違うようなのだ。むしろ、そこをはき違えたゆえの現状ということなのかもしれない。そう、大いなる理想や信念――さらには夢があったとしても、人というものは、案外それだけでは動かないのだ。なかなかのリアリズムである。しかし、そうであるならば、どうすればいい? 「こういうときは案思しかねえんだよ」。気がつけば最終局面に向けて、静かに走り出している『べらぼう』から、ますます目が離せない。
■放送情報
大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
NHK総合にて、毎週日曜20:00〜放送/翌週土曜13:05〜再放送
NHK BSにて、毎週日曜18:00〜放送
NHK BSP4Kにて、毎週日曜12:15〜放送/毎週日曜18:00〜再放送
出演:横浜流星、小芝風花、渡辺謙、染谷将太、宮沢氷魚、片岡愛之助
語り:綾瀬はるか
脚本:森下佳子
音楽:ジョン・グラム
制作統括:藤並英樹
プロデューサー:石村将太、松田恭典
演出:大原拓、深川貴志
写真提供=NHK























