横浜流星×井上祐貴、“正義”の対峙に鳥肌 “精神の殺陣”は『べらぼう』屈指の名シーンに

“精神の殺陣”は『べらぼう』屈指の名シーン

「蔦屋重三郎。みだらなる書物を発行し、風紀を乱した罪。及び数々の御政道批判につき、身上半減とす」

 後の世を生きる者としては、蔦重(横浜流星)が松平定信(井上祐貴)の出版統制に抗い、「身上半減」に処されることは史実として覚悟していたところ。だが、この「身上半減」という聞き慣れない処罰名、どうやら「財産半減」なのか「年収半減」なのか、いまいちハッキリとはしていないようなのだ。そこで、NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第39回では、「あの几帳面な定信らしい」と吹き出さずにはいられない"べらぼう"な「身上半減」が描かれた。

 売り物、版木、有り金、調度品……と、これまで築いてきた財産の半分を召し上げることになった蔦重。定信としては「見せしめ」の意味も強かったと思われる今回のお咎め。市井の人々に「ここまでやるか」と思わせることも大事なポイントだったのだろう。

 定信の指示によって、畳に暖簾、さらには品書きの紙に至るまで、何もかもがきっちり半分没収されていく。その四角四面なお裁きに、大田南畝(桐谷健太)は思わず大笑い。見渡せば、町民たちもクスクスと笑いをこらえている。蔦重は、その光景を目の当たりにして、逆手にとって「身上半減ノ店」と掲げて商売を再開してしまうのだから、なんともたくましい。

 無論、「身上半減」で済まなかった道筋もあった。「身上半減」と聞いて、蔦重自身も「身を真っ二つってことにございますよね?」と口にしていたことからも、死罪をも覚悟せねばならない深刻な状況だったことがうかがえる。

 しかし、そんな最悪な結末を免れたのは、妻・てい(橋本愛)の決死の命乞いがあったからだ。このままでは蔦重の命どころか、江戸の本屋全体にも影響が及ぶ。この状況を打破する唯一の希望があるとすれば、幕府の正学としている「朱子学」の理念と厳しいお裁きの間に潜む大きな矛盾点を突くことだけ。そして、それができるのは学ぶことを愛してきた、ていしかいなかった。

 朱子学の基礎にあるのは、「人は本来、善なるもの」という性善説。だからこそ、定信は“鬼平”こと長谷川平蔵(中村隼人)に指示して、罪人の更生施設「人足寄場」を設けることを命じた。世の流れに翻弄され、やむを得ない理由で道を踏み外す者もいる。そうした者たちが改心できる機会と場所を作ることこそ、より良い社会を築く道。そう考えたのは、他ならぬ定信だったはず。

 「これを導くに政をもってし、これを整うるに刑をもってすれば、民免れて恥なし」と始まる孔子の『論語』を用いて、民を法や刑ではなく徳で導くことこそ、定信の目指す「正しい」社会の実現なのではないか。そう、ていは自らの命も顧みずに柴野栗山(嶋田久作)に直談判する。

 対して栗山は、蔦重が絶版に値する書物を刊行したのは、これが2度目であることを踏まえて「赦しても改めぬ者を赦し続ける意味がどこにある?」と返す。静かな話し合いではありながらも、それは目に見えぬ刃を交わすような知識と目力と気迫の斬り合いだった。

 両者の主張は、どちらにも「そうだそうだ」と思える節がある。だからこそ、この場に立ち会った鬼平も2人の会話のラリーにそれぞれ頷かずにはいられない。「正しさ」とは、ある一面の真実でしかない。「正義」とは、誰かの命を奪うことも厭わないという「大義」にもなりうる。その危うさが、2人のやりとりを通じて鮮やかに浮き彫りになった。

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