若者の間で広がる「自認レゼ」ミーム 自分自身を重ねたくなるキャラクターのメカニズム

興行収入45億円を突破し、大きな話題となっている劇場版『チェンソーマン レゼ編』。美しく、どこかミステリアスなレゼに、デンジと同じように魅了された観客は少なくないはずだ。

本作の公開をきっかけに、SNSではある言葉が広がり始めている。それは「自認レゼ」。かつて“厨二病”の時期を通り抜けた者たちが、過去の自分や周囲を少し距離を置いて振り返る、自嘲めいたミームだ。
なぜ「自認○○」は冷笑の対象になるのか
似たような言葉では、『薬屋のひとりごと』の猫猫に重ねる「自認猫猫」、『DEATH NOTE』の弥海砂を投影先とする「自認ミサミサ」、Netflixシリーズ『ウェンズデー』になぞらえた「自認ウェンズデー」など。いずれも、特定の人気キャラクターに自己投影していたこと(人)を指す言葉たちだ。
パッと例に挙がるのは女性キャラクターばかりだが、男性キャラクターに憧れ、自分を重ねていた人たちも根本は同じだろう。『ソードアート・オンライン』のキリトや、『進撃の巨人』のリヴァイに自分を重ねた「自認キリト」「自認リヴァイ」もいたかもしれない。
「自認○○」という現象が冷笑の対象になるのには理由がある。レゼをはじめ、投影先となるのはたいてい容姿端麗で特別感のあるキャラクター。そこに向けられているのは、「実際の自分とキャラクターには大きなギャップがあるのに、本当にそう思うの?」という、ある種の皮肉めいた視線である。
けれど、ここで問いたい。そもそも「自認○○」を一度も通らずに大人になった人は、どれほどいるのだろうか。程度の差こそあれ、誰もが何かしらのキャラクターに憧れ、「自分もこうありたい」と願った経験があるのではないか(ちなみに筆者は自認『葬送のフリーレン』フェルンである)。
その上で気になるのは、「自認○○」に選ばれるキャラクターと、そうでないキャラクターには何の違いがあるのか、ということだ。
たとえば「自認マキマ」や「自認甘露寺蜜璃」はあまり聞かない。どちらも人気キャラクターであるにもかかわらず、だ。
本稿では女性キャラクターを中心に見ていくが、選ばれやすいキャラクターには明確な共通点がある。




















