『べらぼう』は“作品”が永遠の命をもたらすことを教えてくれる あまりに早すぎるきよの死

かつて蔦重が立ち向かってきた鱗形屋(片岡愛之助)も、西村屋(西村まさ彦)も、鶴屋(風間俊介)も、きっとその攻めの姿勢を持っていた側だったのだろう。多くの人が自分の活躍に目を奪われた時代を維持したい、それを壊して新たな時代を築こうという蔦重を排除したいと願った。その順番が蔦重にも回ってきたということ。

栄枯盛衰。誰もが不老長寿でいられないように、私たちが生きる社会もまた新陳代謝を繰り返す。だが、どうしても私たちはその瞬間的な栄華に永遠を願ってしまう。そして、いくらそれが世の習いだと知っていても、その立場にならないとわからないものがある。
手に入れたものがその手からすり抜けていく怖さ。時代のうねり、「運命」と呼ばずにはいられない災いが、容赦なく生きる幸せを奪っていく理不尽さ。しかし、そんな苦しみがあるからこそ、喜びが訪れた瞬間がより尊く感じられるというのもまた真理。

地本問屋や戯作者や絵師たちが一丸となって出版統制に抗おうという展開は、これまで蔦重が積み上げてきたものが報われる瞬間とも言える。歯を食いしばって戦い続けた日々が、結実していく痛快さに胸が熱くなる。
しかし一方で、懐かしい顔ぶれもみんな年を重ねていることに気付かされた。ここに新たな仲間を……と、大和田を株仲間に入れようとするも「うちはもう黄表紙を出すつもりはないんでございますが。ちょいっとやってみたろうってちゅうだけで」と、なんとも肩すかしをくらったような言葉が返ってくる。
いとも簡単に『心学早染草』の版を譲り、「その代わり、少しばかり安く仕入れさせてもらえませんか?」と提案してきたのだ。上方では江戸の黄表紙が流行しつつあるものの、偽版も出回っているとのこと。そこに安価で本物を流通させれば、偽版も鎮まるのではないかという、さながら現代の転売ヤー対策のような大和田の提案に、蔦重は小さく息を吐きながら遠くを見つめた。

その表情からは、力の入れどころを間違っていた「べらぼう」な自分を初めて顧みたようにも感じた。新たな時代に迎合していくスタイルは認めないと躍起になっていた。そうしなければ、自分が築き上げた黄表紙文化が消えてしまうような気がしていた。現代でも、例えばテレビ一強時代からネットの旋風が巻き起こったときにも、対立構造を感じる場面もあった。
だが、「面白いものを作りたい」「面白いものを観たい」という人の欲はいつの時代も廃れることはない。人が楽しむことを求める限り、自分たちが心血を注いできた黄表紙文化を祖として形を変えながらエンタメは残り、江戸だけでなく異国にも、そして後世にも残っていくのだと感じたのかもしれない。
そして、きよの屍にすがりつく歌麿を見ながら、蔦重も少し前の壊れそうになっていた自分自身が重なったのではないか。流れゆく時代に振り落とされたくない、「おいていかないでくれ」ともがいていた。そんな自分に言い聞かせるように、「旅立たせてやらないと」と声をかけたのかもしれない。

時代も、自分自身も、愛する人も。この世界は何一つとして、とどめておくことのできない大きな流れのなかにいる。だからこそ、その時代に生きた人たちの命の輝きを切り取ったかのような作品たちが心を打つのだ。今は目を合わせて笑い合うことはできないかもしれないけれど、数百年の時を経ても、そこにあった命に触れられる。
実際、蔦重が作った本たち、そしてこの『べらぼう』というドラマによって、天明の時代が「まるで現代とそっくりではないか」と思わされた。そして、そんな人間味あふれる作品は、娯楽に興じる余白や表現の自由が広がってこそ生まれるということも。定信による厳しい出版物の統制は、当時を生きる人たちの視線を知ろうとする現代の私たちにとっても大きな危機と言えるのかもしれない。
■放送情報
大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
NHK総合にて、毎週日曜20:00〜放送/翌週土曜13:05〜再放送
NHK BSにて、毎週日曜18:00〜放送
NHK BSP4Kにて、毎週日曜12:15〜放送/毎週日曜18:00〜再放送
出演:横浜流星、小芝風花、渡辺謙、染谷将太、宮沢氷魚、片岡愛之助
語り:綾瀬はるか
脚本:森下佳子
音楽:ジョン・グラム
制作統括:藤並英樹
プロデューサー:石村将太、松田恭典
演出:大原拓、深川貴志
写真提供=NHK






















