『べらぼう』蔦重と松平定信の“勝利”はどこにあるのか? “悲劇”を生んだ両者の読み違い

『べらぼう』“悲劇”を生んだ読み違い

 寛政元年(1789年)2月、地本問屋仲間から「新作の黄表紙(『天下一面鏡梅鉢』)も大評判。天下の蔦屋、乗りに乗ってるな!」と賞賛の言葉を掛けられ、煙管をふかしながらまんざらでもない表情を浮かべる蔦屋重三郎(横浜流星)。そんなシーンで幕を開けたNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第36回「鸚鵡のけりは鴨」。

 即座に「いやあ、こりゃあ、ひとえに先生方が、面白えもんあげてくださったおかげです」と謙遜する蔦重だが、ここのところ、どうも彼の言動が危なっかしい。妻・てい(橋本愛)や鶴屋喜右衛門(風間俊介)の懸念や助言もどこ吹く風。ときの老中・松平定信(井上祐貴)が主導する「寛政の改革」を痛烈に皮肉ったはずの黄表紙『文武二道万石通』が、その「穿ち」の精神を大衆に理解されることなく、かえって定信の人気を高め、彼の政策を勢いづかせることになるなど、蔦重の何よりの利点であるはずの「世を見る目」――世の中の流れや人々の行動の「読み」が、微妙に外れているように思うのだ。

 しかしながら、「それならば、もっと露骨に……」と出版した『鸚鵡返文武二道』(恋川春町作、北尾政美画)は、さすがに定信の逆鱗に触れ(蔦重たちはあずかり知らぬことだが、彼が最も激怒したのは、田沼の功績を定信が奪ったとする黄表紙『悦贔屓蝦夷押領』(恋川春町作、北尾政美画)だったようだ)、『鸚鵡返文武二道』と『文武二道万石通』(朋誠堂喜三二作、歌麿門人行麿画)、『天下一面鏡梅鉢』(唐来参和作、栄松斎長喜画)の3作が、公儀より絶版・発禁処分を言い渡されてしまうのだった。

 無論、それで落ち込む蔦重ではない。これまで幾度も「危機」を「勝機」に変えて来た彼は、これを機会に定信と直接会って「腹割って話せば」、きっと分かり合えるのではないかと考える。しかし、この発想もなかなかどうして、少々外れている。黄表紙の愛読者であるという噂は本当だったとしても(実際、本作における定信は、黄表紙の愛読者であると同時に、大の春町贔屓だった)、定信は田沼意次(渡辺謙)とは違うのだ。老中たるもの、気軽に町方の商人と会ったりはしないのだ。絶版騒動はやがて、めぐりめぐって武家の戯作者たちの立場を危ういものとし、太田南畝(桐谷健太)に続き、朋誠堂喜三二こと平沢常富(尾美としのり)も筆を折ることを決意(「遊びってのは、誰かを泣かせてまでやるこっちゃないしな」)、江戸から去ることになり、恋川春町(岡山天音)に至っては、文字通り「腹を割る」――自害するという最悪の結末を迎えてしまうのだった。

 それにしても。蔦重の「読み」が、微妙に外れるどころか、思わぬ形で「悲劇」を呼び込んでしまうのは、一体いつ頃からのことだったか。飢饉に苦しむ旧知の小田新之助(井之脇海)に密かに分け与えていた米がまさしく標的となり、吉原を足抜けして新之助の妻となったうつせみ/ふく(小野花梨)と、その幼き息子が命を落とすという事件(第31回「我が名は天」)があった頃からか。

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