『19番目のカルテ』命を全肯定する松本潤の体温 人間の顔をした医療がかける“魔法”

良い医者とはどんな医師だろうか? 7月期TBS日曜劇場『19番目のカルテ』(TBS系)は、その疑問にヒントをくれる作品になりそうだ。
いきなり私事で恐縮だが、最近、筆者は病院を訪れる機会が何度かあった。在宅療養中の母の体調が悪化し、しばらく入院することになった。幸い小康を得て帰宅することができたが、あらためて医療は誰のためにあるのだろうと考えさせられた。
今作の主人公は総合診療医の徳重晃(松本潤)。現代医療は分業制になっていて、いくつもの専門に分化している。「総合」の名称を掲げる19番目の診療科は、それらをつなぐ役割を担う。
カルテに書き込まれるのは、病名、既往歴、検査数値、診療の記録などだ。一人ひとりの患者にそれぞれ別のカルテがあって、そこには回復への願いが込められているはず。しかし、現実はそうなっていない。
「2時間待って診察は10分。病名もわからない。何のための病院?」
「ここの医者はダメ。ろくに話もできやしない」
第1話の出だしから呪詛のようにまき散らされる病院へのディス。対する医者の言い分は「診断名に応じた治療にしか保険適用できないと決められている」「長く診察しても短く診察しても報酬は同じ」。これでは、いつまでたっても議論は並行線のままだ。
魚虎総合病院に着任した徳重は、その状況を打開することを任せられているかもしれないが、ひとまず第1話の段階では、ひたすら患者と向き合い、話を聞いていたのが印象的だった。
もしかすると、私たちは医療に多くを望みすぎなのかもしれない。整形外科医の滝野みずき(小芝風花)の口から「何でも治せる医者になりたい」が発せられるたびに、胸がぎゅっと締め付けられるような気持ちになった。命を救う行為は尊いが、期待値が高すぎるせいで、病院への不平不満になっている可能性はある。
それでも、やはり最後には助けてほしい。そう願ってしまうのは、日本の医療制度と医療従事者への信頼があるからだろう。それにどう応えるか? 根っこにあるのは患者と医者、一対一の関係だ。『赤ひげ』で描かれる医療の原点を、徳重は知らせる。

























