ライアン・クーグラー監督の最高到達点 “紛れもない傑作”『罪人たち』を徹底考察

“紛れもない傑作”『罪人たち』を徹底解説

 さて、映画の中盤、ダンスホールのステージに出演したサミーの神がかった、いや“悪魔がかった”演奏は、呪術的な奇跡を起こすことになる。過去、現在、未来の黒人たちが一堂に会し、時空を超えて音楽を紡ぎあうという幻想的な情景が映し出されるのである。ブルースの旋律に、ジャズの即興、ヒップホップのリズムが重なり、さらにその源流に存在する、アフリカ大陸にルーツを持つ打楽器のポリリズムが刻まれていく。このシーンこそ、本作が最も熱狂を生む箇所であるといえるだろう。

 形式的には現代的な「マッシュアップ」ともいえそうだが、ここでのコラボレーションは、そういった現代の技法的な試みを超え、広い意味でのアートとして、音楽を通じた黒人の歴史の体系的な“統合”を表現している。このマジックリアリズム的なシークエンスは、分断される集団的な記憶を繋ぎとめ、人種としての痛みを共有し、ともに高揚と解放を祝いながら、時間軸をひとつに収束するといった異次元的なイベントとなっている。

 死者と生者がともに歌い踊る儀式の存在というのは、キリスト教の教義にはそぐわない世界観である。そしてそれは、アフリカ大陸におけるいくつもの宗教観の方に接近している。もしかしたら、スモークのパートナーであり、霊との交信をおこなうブードゥーの実践者であるアニー(ウンミ・モサク)が、ここで霊との媒介をした可能性もある。この霊的なパフォーマンスとオーディエンスの熱狂に酔いしれるサミーの耽溺は、一方でキリスト教を広める彼の父親との断絶を深めてもいく。

 そのようなグルーヴによるアゲアゲのダンスフロアに、侵入しようとする者たちが現れる。それが、白人のヴァンパイアたちだ。「初めて訪れる家には招かれなければ入れない」という、怪奇小説由来のルールを守りながら、彼らは物欲しそうに店の周囲を徘徊するのである。

 白人が吸血鬼として、音楽を演奏し楽しむ黒人を襲いにくるといった構図は、チャドウィック・ボーズマンの遺作となった映画『マ・レイニーのブラックボトム』(2020年)や、Netflixのドキュメンタリー映画『リマスター:ソロモン・リンダ』(2018年)などでも描かれた、人種間の音楽ビジネスにおける搾取の歴史を連想させるものがある。白人経営のレコード会社やプロモーターに、黒人ミュージシャンのパフォーマンスが安く買い叩かれるといった歴史的な搾取構造は、近年とくに映像作品の題材になってきている。

 ヴァンパイアのレミック(ジャック・オコンネル)の企みによって多くの黒人たちが吸血鬼化し、コミュニティを攻撃する様子は、黒人アーティストがブルースを白人たちの産業に搾取され道具にされた歴史を反映している部分だ。魅惑的な音楽を演奏している黒人の血を啜りに白人が現れるという本作の趣向は、音楽業界の歴史的な闇を戯画化する試みだといえる。そう考えれば、大枠として本作が描いている恐怖演出の正体が見えてくるはずである。

 さらに興味深いのは、レミックがアイルランド系だという点である。19世紀に起きた「アイルランド大飢饉(ジャガイモ大飢饉)」によってアメリカに移住した貧しいアイルランド系の移民たちは、人種差別の対象とされ、白人ではないとみなされることすらあったという。

 そんなアイルランド系移民、およびスコットランドなどの移民は、ヨーロッパからの音楽文化を持ち込み、アメリカ東部のアパラチア地方で独自の発展を遂げていった。その過程で、アフリカ系のミュージシャンや楽器などの音楽文化と出会うことで融合していき、「オールドタイム・ミュージック」、「カントリー・ミュージック」、そして「ロックンロール」と、音楽ジャンルの発展に影響を及ぼしたのだという。よく「ロックは白人が黒人から収奪した」と言われるが、まさに本作は、ビジネスだけではなく文化面においてもそれを表現しているといえよう。

 さて、ここでヴァンパイアたちに狙われるサミーがどうなるのか、というのが重要な点だ。本作の黒人たちがサミーを守るというのは、白人による文化の収奪から、黒人の叫びである「ブルース」音楽を守ろうとするメタファーとなっている。そんな黒人たちの献身的な努力は身を結び、のちにサミーは、故郷を離れてシカゴに渡り、自身の音楽性をバンドスタイルへと発展させていく。やがてそれは、『シカゴ・ブルース』誕生の一端を担うことになる。

 しかしそれはサミーにとって、神や父親を裏切り、音楽に魂を売る選択でもあった。ここで神ではなく「ブルース」という悪魔を選択するというエピソードは、“十字路で悪魔に魂を売り渡し、巧みな演奏技術を身につけた”という伝説を持つブルースシンガー、ロバート・ジョンソンの有名な話を再解釈しているのは間違いないだろう。ジョンソンの悪魔との取引が個人的な才能の追求なら、サミーは悪魔と契約することで、音楽活動をする自由を手に入れ、白人の搾取や収奪からも自由になろうとするのである。

 時代が流れ、1990年代のシカゴで人生を終えようとするサミーの前に、意外な存在が現れる。それは、ヴァンパイアになりながらも、あの夜の惨劇を生き延びた、“二人”である。これが意味するものは、白人の影響を極力逃れた音楽がある一方で、逆に白人の搾取や文化的融合に積極的に飲み込まれることで、文化的、ビジネス的に大きな成功を果たした黒人由来の音楽もあるということである。

 そのように考えるなら、あの吸血鬼騒動や惨劇も、完全に一方的な被害というわけではないのだろう。もちろん、スモークとKKKとの銃撃のように、人種の誇りを守るために譲らない態度を取ることも必要だろう。ただ一方で、多様な文化が融合していくことは必然的な流れであり、文化の発展や継続に、それが欠かせないのも確かなのではないか。もちろんヴァンパイアの有無を言わせない攻撃のように、それが一方の意思を無視したものであってはならない。だからこそ、ヴァンパイアの二人は、最後にサミーの選択を尊重するのである。

 クーグラー監督の意図は、ホラージャンルを通して、自分たちの文化を守る姿勢、そして逆にミックスされる文化の創造性をも一方で讃えつつ、その過程でおこなわれてきた搾取構造を批判するといった、複雑なものだといえよう。クーグラー監督自身、ハリウッドという白人中心の業界で成功しながら、黒人文化を発展させるという、本作のような複雑なことをやっているのである。その意味で本作は、監督自身の世界観ともいえるはずだ。

 本作『罪人たち』は、音楽の進化と搾取が絡んだ複雑な歴史を、表面的に美しくも、大量の汗と血で呪われた綿花畑が広がる1930年代ミシシッピの壮大な風景や、吸血鬼ホラーという斬新な要素とともに暗示した、真に個性的な映画だといえる。間違いなくライアン・クーグラー監督の最高到達点であり、紛れもない傑作と呼べる一作である。

参考
※1. https://www.vulture.com/article/sinners-chinese-delta-community.html
※2. https://www.timeout.com/news/sinners-locations-behind-the-filming-locations-on-ryan-cooglers-sultry-southern-vampire-thriller-041825#

■公開情報
『罪人たち』
全国公開中
出演:マイケル・B・ジョーダン、ヘイリー・スタインフェルド、マイルズ・ケイトン、ジャック・オコンネル、ウンミ・モサク、ジェイミー・ローソン、オマー・ベンソン・ミラー、デルロイ・リンドー
監督・脚本・製作:ライアン・クーグラー
配給:ワーナー・ブラザース映画
原題:Sinners/上映時間:137分/PG12
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公式サイト:SINNERS-MOVIE.JP

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