『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』の美点と欠点を徹底解説

約30年もの歴史を歩んできた、トム・クルーズ主演のスパイアクション『ミッション:インポッシブル』シリーズ。TVドラマ『スパイ大作戦』を下敷きに、アメリカの秘密機関IMF(インポッシブル・ミッション・フォース)に所属する凄腕スパイ、イーサン・ハントをトム・クルーズが演じ、生身のアクションを展開する独自路線が観客を魅了し続けてきた。
ついに公開された最新作『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』は、今後の企画展開の可能性を見越して「最終作」とはアナウンスしなかったものの、その内容自体は、シリーズの歴史の一区切りとなる、“集大成”を演出したものだった。
そんな、シリーズ集大成としての文脈を踏まえ、ここでは、これまでの『ミッション:インポッシブル』シリーズの歴史も一部振り返りながら、本作『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』がどんな作品なのかを探り、シリーズ中の位置付けや、一つの作品としてどうだったのかを、じっくりと考えていきたい。
シリーズのなかで初となった、ストーリーがまたがる「2部作」の後編にあたる本作では、前作『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング』(2023年)で描かれた脅威が持続している。自我を持ったAI、“それ”こと「エンティティ」が全世界の支配を進め、世界中のシステムが麻痺状態に。“何が真実か”すら操作できるようになったエンティティに煽動され、数多くの人々が目論見通りに動かされている。
陰謀を阻止したいイーサン・ハントは、エンティティを止めるのに必要な鍵を手にするとともに、IMFチームメンバー、ルーサー・スティッケル(ヴィング・レイムス)が作り出したデジタルデータとしての“毒”を使って、事態の打開に乗り出そうとする。そのために必要なのが、唯一「エンティティ」の詳細を知る、ガブリエル(イーサイ・モラレス)だった。
ガブリエルを探そうと動き出したイーサンとグレース(ヘイリー・アトウェル)は、ロンドンのアメリカ大使館に潜入するのだが、逆にガブリエルの手の者に捕らえられてしまう。2人が目を覚ました場所は拷問部屋。おそろしい拷問道具の数々を前にして怯えるグレースに、イーサンは苦渋の思いに駆られながら、「自分にこう言い聞かせろ。“たかが痛みだ”と」と、語りかける。
冒頭から大ピンチの状況だが、似た展開を、われわれはすでに観ている。それは、本作の脚本・監督を担当するクリストファー・マッカリーが初めて手がけた、シリーズ5作目『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』(2015年)である。同じ人物が脚本・監督を務めているのに、なぜ似たようなシーンを作ったのか。ここが、複雑なプロットの裏に走っている、世界を救おうとする流れとは別の、“もう一つの物語”を解き明かす手がかりだ。
『ローグ・ネイション』の同様のシーンにおいて、イーサンの側にいたのは、グレースではなく、イルサ・ファウスト(レベッカ・ファーガソン)だった。イルサは『デッドレコニング』で悲劇に見舞われたが、入れ替わるように仲間となったのがグレースだった。つまりこのシーンでは、イルサから役割をバトンタッチしたグレースが、またしても同様のシチュエーションに居合わせているということなのだ。それはイーサンにとって、目の前のピンチ以上に、不穏に感じる出来事だったのではないだろうか。
前作『デッドレコニング』では、イーサンのキャリアのスタートが、愛する人物を失う出来事にあったことが明かされた。そうでなくとも、イーサンに近しい女性は、シリーズ上、何人も命を落としてきた。それは彼にかけたれた呪いであり、逃れられない運命であるかのように、『デッドレコニング』で重々しく強調されていた。だからこそ、グレースの身がよけいに心配になるのである。グレースは、イルサが命と引き換えに救った人物でもある。もはや彼女を生存させることは、イーサンを主体とした本作の価値観のなかでは、世界を救うことと等価とすらいえるかもしれない。
マッカリー監督は、自分が手がけたシリーズ5、6、7作目において、絶えず第1作『ミッション:インポッシブル』(1996年)を参照し、その要素を取り入れてきた。第1作に登場したマックス(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)の娘ホワイト・ウィドウ(ヴァネッサ・カービー)の登場などは、その代表的な趣向だった。本作でもその傾向はさらに加速しているのだが、第1作の監督がブライアン・デ・パルマであったことには大きな意味がある。
それは、もともとデ・パルマ監督が「サスペンスの帝王」ことアルフレッド・ヒッチコック監督を信奉していて、第1作でもそのオマージュをおこなっていたという事実である。シネフィルとして知られるマッカリー監督は、ブライアン・デ・パルマというレジェンド監督へのオマージュにこだわり、さらにそこを経由して、ヒッチコック監督ともシリーズで繋がろうとしてきた。
『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』(2018年)では、最愛の存在だったジュリア(ミシェル・モナハン)と、イルサが対比される。このヒッチコック作品『めまい』(1958年)にも似た女性の「ダブルイメージ」の構図が、イルサとグレースの間にも適用された。このように、本作は5作目からシリーズを手がけているクリストファー・マッカリー監督が、もう一度自分の作風を振り返っているように感じられるところがある。

























