『あんぱん』二宮和也が放つ言葉の圧倒的な説得力 清が嵩に“生きる意味”を託す

補給が絶たれ、食料も尽きた過酷な状況の中で、嵩(北村匠海)は極限状態に陥っていく。『あんぱん』(NHK総合)第59話では、仲間の死、過去の因縁、父との記憶など嵩が直面する“喪失”と“再生”の時間が描かれた。オープニング映像を挟むことなく、ノンストップで駆け抜けた濃密な15分間だった。
リン(渋谷そらじ)によって銃撃された岩男(濱尾ノリタカ)は、腹部を押さえながらも、嵩に対して「リンはようやった」とだけ言い残し、静かに息を引き取った。その短い一言は、死に際の赦しであり、何よりも過去と向き合った者にしか出せない重みがあった。命を落とすその瞬間に、岩男が伝えたかったことは、弁明でも弔いでもなく、リンという一人の若者の行動を受け止める姿勢だった。
その言葉に宿っていたのは、自らの罪を引き受ける覚悟と、リンの行動への理解だったのかもしれない。けれど、リンはなぜ引き金を引いたのか。そして岩男はなぜ、それを赦したのか。戦場という極限の環境のなかで、正しさと赦しは、しばしば一方向には定まらない。命の重みも、正義の輪郭も、銃声ひとつで揺らいでしまうこの場所で、答えを見つけることなど誰にもできない。
その直後、八木(妻夫木聡)が嵩に語る。リンの行動は復讐だったのだ。1年前、ゲリラ討伐の命令が出された際、リンの故郷の村が標的となり、住民の多くが命を落とした。そのなかにはリンの両親も含まれており、とりわけ母親を撃ったのが岩男であったことを、リンはのちに知ったのだという。

八木は「岩男の仇を取りたいか」と問いかけながらも、言葉の端々に自らの怒りと困惑をにじませていた。そして、次の瞬間には激情を爆発させる。これまで寡黙で理性的な人物として描かれてきた八木が、初めて見せた感情の奔流。その姿は、感情を殺して生きるしかなかった戦場の空気を逆撫でするようでもあり、嵩はただ立ち尽くすことしかできなかった。