『べらぼう』恋川春町の“放屁芸”がここまで心を打つとは 吉原と江戸城に息づく源内の意思

『べらぼう』心を打つ“放屁芸”

 前回、「北辺に巣食う鬼」との異名を持つ松前藩主・松前道廣(えなりかずき)が登場するや、SNSでは「えなりかず鬼」とのつぶやきで盛り上がった。思わず「上手いこと言うねぇ」なんて江戸風に唸りながら、天明期から現代へと繋がる日本人の言葉遊び好きを噛み締めた。

 NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第22回「小生、酒上不埒にて」は、狂歌ブームで賑わう世の中で塞ぎ込む恋川春町(岡山天音)にスポットライトが当たる。もともと小島松平家に仕える武士である春町。今でいう副業のような感覚で絵の道に進んだものの、小島松平家の家老が鱗形屋(片岡愛之助)にひどいことをしたという良心の呵責から、儲け度外視で『金々先生栄花夢』をはじめとした青本を執筆してきた。

 その後、鱗形屋の撤退により鶴屋(風間俊介)のもとで作家活動を続けるはずだったが、意見の食い違いからスランプに。そんなタイミングでワクワクするような提案を持ちかけた蔦重(横浜流星)の手を取る形で耕書堂へとその活動の場を移すのだった。

 よくよく考えてみれば、春町は知らないのだ。この、いわば「春町奪還作戦」の裏で蔦重と鱗形屋の和睦があったことを。そう思うと、どこか案思に釣られる形で耕書堂付きとなった春町が、ちょっとした罪悪感や居心地の悪さを感じていたのもうなづける。そこに、ノリにノッている大田南畝(桐谷健太)らが仲間に加わり、自分と同じように絵も文も手掛ける北尾政演(古川雄大)が持ち前の明るさを発揮しながら活躍するのを面白くないと感じたのも納得だ。

 そんな鬱憤を晴らすかのごとく、酒の席で大暴れした春町。自らを揶揄してつけた狂名が「酒上不埒」というのも、またセンスを感じさせるところ。狂歌にはとことんバカバカしい滑稽なものもあれば、「えなりかず鬼」のようなユーモラスな掛詞に「上手い!」と唸るもの、そして一言でピリッと言い得る風刺ものがある。

 「『恋失』と書いて『未練』。『川失』で『枯れる』。『春失』で『外す』。『町失』で『不人気』。恋川春町とはそういう男だ」

 なんて真顔で言い切る春町に思わず吹き出さずにはいられない。放屁ネタで盛り上がる飲み会で、1人うだつの上がらない自分を「屁屁屁屁屍屁屁屁屁」なんて例えて記したところも、現代のSNSでも十分に共感を得そうなものだ。

 わかりやすいおふざけは苦手かもしれないが、春町にはこの浮き世を冷静に見つめて毒づくセンスがある。そんな南畝の鋭い意見を踏まえて、蔦重も春町がもう一度筆を取るように諭す。そこに、春町の長年の友である朋誠堂喜三二(尾美としのり)の説得。絵師として春町を敬う歌麿(染谷将太)の「さみしい」の声。そして、空気を読んであえて何も知らないフリをする元木網(ジェームス小野田)らの粋な計らいも加わり、春町は晴れて蔦重の一味として求められているという安心感を得たように感じた。

 また、妬ましく思っていた政演が、実は春町の創作漢字がズラリと並ぶ『廓𦽳費字盡(さとのばかむらむだじづくし)』のような本をやりたかったと口を尖らせていたのも微笑ましかった。そう、人はいつだってないものねだりの生き物。自分にしかできないことは、なぜか誰にでもできること、だなんて思ってしまう。そして、自分にできないことばかりが眩しく見える。目の前のことに必死になるほどに、自分なりの良さが見えなくなってしまうものなのだ。

 だからこそ、自分の不甲斐なさに塞ぎ込んでいるタイミングで「そこが強みだ」なんて言ってくれる人がいることが、なんと心強いことか。それは蔦重も老舗の本屋たちとの経験の差に打ちひしがれたときに、「そう来たか」というアイデアを出せるのが強みだと言われて立ち上がったことからも、十分に理解していたところだろう。

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