『陪審員2番』が投げかけるリアルな“問い” クリント・イーストウッドの“妥当な融和点”に
本作で主人公は悪人として描かれているのかというと、決してそうではない。彼は被告人サイスが有罪になり、無実の人間が重い罪に問われるかもしれないことに胸を痛めることとなる。彼のような立場には、誰もがなり得る可能性がある。果たしてそのとき、どれくらいの割合の人間が、自分の幸せをあきらめて真実をうったえることができるだろうか。観客もまた、本作のシチュエーションに“試される”ことになるのだ。
そしてもう一人、トニ・コレット演じるキルブルー検事もまた、同様に善悪の葛藤にさいなまれる役柄だ。彼女は次期検事長として大きな出世を遂げようとしていて、仕事でミスを犯したくない立場にある。しかし、裁判での勝ち筋が見えてきたとき、逆に彼女は被告人が有罪とは思えなくなってくるのだ。彼女もまたケンプ同様、利害のはざまで苦しむことになるのである。
イーストウッド主演、監督作『トゥルー・クライム』(1999年)は、死刑囚の無実を信じる新聞記者が奔走する物語で、本作にも通じる部分がいくつもあるが、終盤でストーリーが大きく動くところが、そのなかでもとくに共通している部分だといえる。脚本家のジョナサン・エイブラムスは、ミュージカルの舞台などの脚本を務めてきた、映画業界ではキャリアのない人物だが、イーストウッドのいくつかの過去作をまとめたような本作のストーリーは、確かにツボを押さえているといえるだろう。
葛藤のなかでキルブルー検事は、裁判長の背後に飾られた、アメリカ合衆国独立の年と、合衆国の標語「IN GOD WE TRUST」(我々は神を信じる)という言葉に強く引きつけられる。そして、そのすぐそばにはアメリカ国旗が飾られ、さりげなくフレームインしている。
イーストウッド監督作には、このようにアメリカ国旗のイメージや、十字架などの神のイメージが、大事な場面で出現する。それは西部劇のヒーローや、型破りな刑事、映画を飛び越えて政治家になることも経験したイーストウッドが、自分がどこに拠って立つのか、何のために戦い、何のために映画を撮るのかを、絵として語っている部分なのだ。
そしてラストシーンでは、正義の監視者になりかわった女性が、主人公を鋭い眼光で見つめることとなる。思えば、イーストウッドの初監督作『恐怖のメロディ』(1971年)のクライマックスは、とんでもないインパクトのあるものだった。イーストウッド演じる主人公が、一夜を共にした女性につきまとわれ続け、ついにナイフで襲われたたことで、鉄拳を彼女の顔面に食らわせて断崖の下に突き落とすのである。いま観るとこれは、倫理的な意味で大丈夫なのかと思わせるものがある。
そう考えると、女性の視線に貫かれることで幕を迎える本作は、イーストウッド監督業の、およそ50数年間の時代の変遷と価値観の変化を感じさせるとともに、これが仮に最終作なのだとすれば、彼が描いてきた正義と神話性、マゾヒズムなどの要素が、変わりゆく現代の社会のなかで和解を迎えた、一つの妥当な融和点といえるのではないだろうか。
筆者は過去に、イーストウッド監督の映画を、無口で無骨な親父が一人で切り盛りする小料理屋の料理に例えたことがある。その例えでいくと、本作はとくにシンプルに、飾り気なく作られた一椀だったといえる。その特別さの欠如にこそ、まさにイーストウッド監督の“粋”が感じられるものだ。これが本当に最後なのであれば、この潔い余韻を少しでも長く味わっていたいと思う。
■配信情報
『陪審員2番』
U-NEXTにて独占配信中
出演:ニコラス・ホルト、トニ・コレット、J・K・シモンズ、クリス・メッシーナ、ガブリエル・バッソ、ゾーイ・ドゥイッチ、セドリック・ヤーブロー、レスリー・ビブ、キーファー・サザーランド、エイミー・アキノ、エイドリエン・C・ムーア
監督:クリント・イーストウッド
脚本:ジョナサン・エイブラムズ
製作:クリント・イーストウッド、ティム・ムーア、ジェシカ・マイアー、アダム・グッドマン、マット・スキーナ
製作総指揮:デヴィッド・バーンスタイン、エレン・ゴールドスミス=ヴァイン、ジェレミー・ベル
©2024 WarnerMedia Direct Asia Pacific, LLC. All rights reserved. Max and related elements are property of Home Box Office, Inc.