こんなふうに生きることができたならば 『イル・ポスティーノ』に収められた命のきらめき

『イル・ポスティーノ』に収められた命の輝き

新しいことを知る純粋な喜びが刻まれている

 それにしても、驚くのは、トロイージが詩の喜びを知っていく過程で見せる、無邪気な笑顔だ。まるで子供のような純真さがある。新しい世界を知ったときの喜びに溢れたあの顔を、これから死にゆく人が見せているのだと思うと、感動が倍になる。人間は死ぬその瞬間まで好奇心を失わず、探求することができるのだと、この映画は伝えているような気がする。

 人はいつだって、新しいものに触れて、自らを豊かにすることができる。詩のメタファーによって、普段は何もないところだとしか思えない田舎の小島も、美しいものに溢れているのだとマリオは気が付いてゆく。

 マリオは、チリに帰ったパブロに波の音や風の音など、島の自然音を録音して送ろうと試みる。詩を知る前は何とも思っていなかった日常に、宝石のような美しい何かを見出せる感性を得たからこその行動だ。

 本作の主人公の1人が詩人であるということも、本作にとって重要な要素である。詩人とはどういう人々かと言えば、何よりも「言葉の牢獄」に挑む人々だ。池上嘉彦は、著書『記号学への招待』(岩波新書)で、詩人とは「日常の言葉を超える言語の想像を通して、新しい価値の世界を開く」者たちだという。

 この映画の中で、パブロ・ネルーダは確かにマリオの人生を解放し、新しい価値への世界を開いた。それは、島から出るという意味ではない、普段、生活している島の美しさや別の価値に気が付ける感性に目覚めるということだ。

 「こんなふうに、生きることができたならば」と思える理由が、ここにある。この映画を観ると、退屈で同じことの繰り返しにしか感じられない感性の牢獄から解放されて、美しさを感じられるようになる。見慣れた景色も、かがやいて見えるようになる。心からそう思わせてくれるのが『イル・ポスティーノ』という映画なのだ。

■公開情報
『イル・ポスティーノ 4Kデジタル・リマスター版』
角川シネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほかにて公開中
出演:マッシモ・トロイージ、フィリップ・ノワレ、マリア・グラツィア・クチノッタほか
監督:マイケル・ラドフォード
原作:アントニオ・スカルメタ
音楽:ルイス・エンリケス・バカロフ
配給:セテラ・インターナショナル
1994年/イタリア・フランス/イタリア語、スペイン語/原題:Il Postino/109分
©R.T.I. S.p.A.–Rome, Italy, Licensed by Variety Distribution S.r.l–Rome, Italy, All Rights reserved.
公式サイト:ilpostino4k.jp

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