『プラットフォーム』シリーズは世界がもたらす“地獄”を表現 『2』では前作の謎も明らかに

『プラットフォーム2』が表現する“地獄”

 天井と床の真ん中に大きな四角い穴の空いた部屋……上の階も下の階も、同じく吹き抜けで穴が空いている。そしてその部屋が、数百層にも連なっている。このようなシンプルな構造ながら、同時に冷たい狂気を感じる構造物、通称「穴」を舞台にした、Netflix配信の奇妙なシチュエーションスリラー映画『プラットフォーム』は、そのユニークな発想で多くの観客を魅了し、スペイン発ながら北米で大ヒットを記録した一作だ。

 この一階、一階には住民が二人ずつ幽閉されていて、各部屋には四角い穴を通して「プラットフォーム」と呼ばれる台が、一日一回だけ、上から降りてくる。その台に並べられた料理を食べることで、住民たちは日々を生き延びるのである。だが料理の量は限られていて、下の階に降りていく度にそれは減っていく。つまり、上の階層の住民たちほど料理を多く食べることが可能で、下の層ほど食事にありつくチャンスが限られてしまうのである。

 上の立場の者が、限られた資源を独占できる……。そういった、現実の階級社会を極度に単純化したような構図と、全編にわたる閉塞した雰囲気を持った『プラットフォーム』は、新型コロナウイルスのパンデミックによるロックダウン期間中に支持され、多くの視聴数を獲得することになった。

 そんな『プラットフォーム』の続編『プラットフォーム2』の配信が始まっている。作中の舞台となる奇妙な施設の正体や、そこで異様な行動をする人間の目的など、さまざまな謎を残したまま結末を迎えた第一作だったが、ここでは、その一部が明らかになる本作『プラットフォーム2』の内容を中心に、前作と本作が表現したものが何だったのかを考えていきたい。

 冒頭で描かれるのは、前作とは少し異なるルールの説明である。施設に入る人々は、自分がリクエストした料理を台に用意してもらえるというのだ。ということは、自分の分だけを食べたり、そのメニューに飽きたら他の住民と交換するという方法を、全ての住民が守るのならば、確実に全員が食事にありつけるのである。これによって、住民一人ひとりの責任がより明確なものとなったといえよう。

 とはいえ、最初から料理の量に限りがある以上、下層が不利になる状況は変わらない。「自分の分だけ食べる」というルールや理念は、ここではあくまで住民たちの自治によって支えられているもので、基本的には一人ひとりの良心に頼るしかない状態なのだ。

 前作で描かれたのは、まずは「資本主義」的な社会構造の弱みだった。上層が多く食べた分だけ、下の者たちに皺寄せがくる。そうすれば、必然的に一定数の人々が飢え、死者も出ることになるだろう。限られた“パイ”を奪い合い、立場の強い者が多く取るのだから、“富める者がより富むことで下の者も潤う”という、「トリクルダウン理論」が機能するはずもない。経済学者のロバート・ライシュは、富裕層がさらに巨額の富を手にするよりも多くの人々に富が分配された方が経済を活性化させると主張し、この種の理論の欺瞞を指摘している。

 経済の話だけでなく、ストレートに世界の食糧事情の問題も、もちろん本作は照射している。国連食糧農業機関やユニセフなどのデータによると、世界の人口の1割に近い数の人々が、現在飢餓状態にあるという。食品ロスや畜産業による穀物の消費量を考えれば、さまざまな是正案の実行によって、この不平等は解消されるかもしれない。しかし現実では、全ての人々を救うという理念よりも利益が優先されていることで、問題が先送りされているといえる。

 いま日本経済が落ち込み、貧困世帯が増えている現状を見れば分かるように、飢餓問題は、食料自給率の低い日本にとっても深刻さを増してきている。かつて「飽食の時代」と言われた時期と、一部の人間しか美食を楽しめないようになってきた現在という、戦後から高度経済成長、バブル経済の崩壊、不況の時代などをめまぐるしく経験してきた日本人からすると、『プラットフォーム』2作のように、時期によって階層が入れ替わる本シリーズの状況にはリアリティを感じられるのではないだろうか。実際、食品の高騰によって、以前までのような食生活ができなくなったという話をよく聞くようになった。

 本作の劇中では、前作で死亡した人物が再登場することによって、前作の後の展開を描いたものでないことが明らかになる。住民たちがシステムを無視し出す前の状況として、「王党派(ロイヤリスト)」……つまりシステムに従順な者たちが、ルールを厳格に守ることによって秩序を形成する展開が描かれているのである。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる