朝ドラで描くには重すぎる? 滝藤賢一&余貴美子の名演が『虎に翼』に与えたリアリティ

滝藤賢一の名演が『虎に翼』に与えた重厚さ

 残すところあと2週間。NHK連続テレビ小説『虎に翼』第24週「女三代あれば身代が潰れる?」では時代は昭和40年代へーー。登場人物が老い、亡くなる人も幾人か。あとに残された寅子(伊藤沙莉)たちが法律とどう向き合っていくか。尊属殺人は合憲か違憲か問題、少年法の改正案など、重い問題が横たわる。

 これまでも『虎に翼』は1週間に要素がぎっしり詰め込まれ、脚本家・吉田恵里香のエピソードのさばき方の手際の良さが評価されてきたが、ここへ来てますます吉田の剛腕が冴える。

 尊属殺人、少年法の改正案、安保闘争、更年期に認知症などの老いの問題、連ドラの1話完結エピソードを一気にまとめて描き、それぞれが有機的に繋がっているという画期的な構成。とりわけ第24週では、香淑/香子(ハ・ヨンス)の娘・薫(池田朱那)が学生運動で逮捕されるという事件と、薫が母の出生の秘密を知り、それを隠していたことを「加害者側に立った」と批判するという日本と朝鮮の問題が描かれたことのほかに、星家ののどか(尾碕真花)と優未(川床明日香)の自由な生き方まで描かれて、前半の尊属殺人の弁護をよね(土居志央梨)と轟(戸塚純貴)が引き受けたエピソードは今週だったっけ? と混乱するほどだった。香淑と薫のことも、星家の人々の生き方も、家族の話としてくくれば、朝ドラ的とも言えないことはない。朝鮮人と日本人との問題をこれまであまり朝ドラでは書いてこなかったというだけである。

 朝鮮人に限ったことではなくマイノリティを描くことに、吉田は「何かやってやろうといった気持ちはない。令和になる前から彼らはいた。それこそ寅ちゃんたちが生まれる前からです。意図的か無意識かは置いといて、当時見ないようにされてきた人をきちんと描きたかった。70年以上経っても、あまり変わっていないことがどうしてなのか、思いをはせるきっかけになれば」と9月12日の朝日新聞のインタビューで答えている。

 第24週に限っていえば、マイノリティの問題よりも、尊属殺人のエピソードがなかなかエグく、朝、不特定多数の視聴者が観る国民的とも言われるドラマで描く必然性があるのか、ちょっとよくわからなかったが、朝ドラだから描かないという自主規制をしないというところに意義はあるのかもしれない。昨今は、配信やオンデマンドでいつでもどこでも観られるコンテンツになっているので、朝、支度しながら観るということにこだわらなくてもいいという考え方もあるだろう。

 SNSでは、あまりにいろいろな問題を取り上げすぎて、ひとつひとつが深堀りされていないことが気になるという声を見かける。確かに、作者本人には確かな理屈や信念があるのはわかる。が、一回観ただけでは理解できないところも正直ある。ミニシアターでかかる映画のようなモチーフがいくつも重なり、集中力を要する。そんななか、たとえ深堀りされていなくても、圧倒的に見入ってしまい、心がゆさぶられる瞬間を作りだしている功労者がいる。

 第24週で亡くなる百合(余貴美子)と多岐川(滝藤賢一)である。週のはじめは、認知症でだんだん意識がはっきりしなくなっていった百合がナレ死。週の終わりの第120話では、癌を患い自宅療養で亡くなった多岐川が志半ばで亡くなる多岐川劇場。そこに様々な社会問題がサンドされていた。

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