『マウンテンドクター』は現場主義の理想を掲げる 檀れいが示した危機的状況下の振る舞い
何を守り、何を手放すべきか。9月9日放送の『マウンテンドクター』(カンテレ・フジテレビ系)第10話は、山岳医療の未来に決断を迫るものだった。
歩(杉野遥亮)の遭難が二次被害を生んだことで、MMTは存続の危機にさらされた。その矢先、江森(大森南朋)が持病の心臓発作で倒れる。典子(岡崎紗絵)の母・聖子(池津祥子)は典子を連れ戻すため、県医療政策課の純家(松尾諭)に諮り、信濃総合病院に行政指導が入った。
課題が山積する中、鮎川山荘の近くの登山道で土砂崩れが発生し、4人の登山者が安否不明となる。救出作業をテレビで見ていた江森は、亡くなった恋人の美鈴(中越典子)の遺品を目にし、病室を抜け出して現場へ向かった。発見された登山者は意識不明で、一刻も早い手当てが必要だが、災害現場への出動は行政指導により自粛となり、向かうことができない。救えるかもしれない命を前に、何もできないジレンマの渦中にあって、院長の周子(檀れい)が動く。
現場とトップとの乖離は医療ドラマの定番だ。患者と向き合う医師は現場の人間であり、病院の経営層、県庁や厚生労働省は管理・監督する側だ。現場の力が及ばない行政や経営判断の場面で、ここぞと言うときに力を発揮するのは上に立つ人間である。ことは急を要する。傷病者の生存の危機に、周子は知事の一ノ瀬(飯田基祐)に直談判した。
第10話で描かれた周子の行動は、リーダーのあるべき姿勢を示すものだった。ヘリで医師を搬送してほしい。単刀直入に用件を伝え、エビデンスを元に、誠実に道理を尽くして説得する。MMTの生みの親である周子が、誰よりも医療の理想を抱いていることが伝わってきた。命を救うことの前に立ちはだかるのは、大自然を相手にする厳しさだけでなく、人間が作り出した壁も含まれる。MMTを「山のお医者さんごっこ」と見下す純家に周子が放った一言には、命を救う医療者の誇りが込められていると感じた。
宝塚歌劇団月組・星組の元トップである檀れいは、ドラマを含む映像作品では、政治家や中間管理職、若者を見守る年長者の役で目にすることが多い。そのたびに余人に代えがたい存在感を放っているが、共通して感じるのは大人世代としての責任だ。注目を浴びながらトップを走り続ける中で培ったオーラが自然に伝わり、観ているこちらが粛然とした気持ちになる。その特質はリーダーを演じる時、最大限発揮されているように見える。