『虎に翼』米津玄師が歌詞に込めた“未来への展望” 「さよーならまたいつか!」を分析

『虎に翼』米津玄師による主題歌を分析

 良いドラマには良い主題歌がつきものだ。NHK連続テレビ小説『虎に翼』も例外ではない。このドラマでは、米津玄師が書き下ろした主題歌「さよーならまたいつか!」が、ポップな曲調と耳に残るメロディーで視聴者の心を掴んでいる。またシシヤマザキによって制作された優しい色彩のOPアニメーションに、ついつい観入ってしまう視聴者も多いのではないか。特に秀逸なのが、ドラマの世界観と見事にリンクした歌詞の内容だ。

 そもそも、この曲は誰の視点で書かれているのだろうか。主題歌の依頼が来たとき、米津は制作統括の尾崎裕和に「女性の地位向上の物語の主題歌を歌うのが男性の自分であるのはなぜなんですか?」と率直な疑問を投げかけたそうだ。尾崎は「俯瞰した目線で、広がっていく世界を描いてほしい」と回答したとのこと。(※)しかし、この物語の女性たちから一歩離れたところで『応援してるよ』というのは無責任だと感じた米津は、主観的に曲を作る方を選んだという。この決断の結果、「さよーならまたいつか!」は、作品内の出来事の当事者として描かれる女性目線の曲に仕上がっているそうだ。

 そうした背景を鑑みると納得できるものも多い。1番の歌詞で描かれるのは、〈もしもわたしに翼があれば 願う度に悲しみに暮れた〉と翼へ憧れる「力を持たない女性」の姿だ。これは主人公・寅子の心情を巧みに表現している。

 物語の序盤、女学校に通う寅子は、父・直言(岡部たかし)と母・はる(石田ゆり子)から見合いを勧められていた。同級生の花江(森田望智)は女学生のうちに結婚することが夢だと語り、寅子の兄・直道(上川周作)と婚約するが、寅子は「女性は結婚して出産し家庭を守るのが当然」という社会通念に疑問を抱く。「女だから」という理由で、さまざまなことを諦めざるを得ない世界がそこにはあった。この心境は、〈土砂降りでも構わず飛んでいく その力が欲しかった〉という歌詞に重なるものがあるだろう。

米津玄師 - さよーならまたいつか! Kenshi Yonezu - Sayonara, Mata Itsuka !

 その後、穂高(小林薫)の勧めで明律大学女子部法科への進学を決意した寅子は、反対するはるを説得し、弁護士になる夢に向かって邁進する。そうしてついに高等試験に合格し、寅子は自らの手で「飛んでいく力」を掴み取るのである。

 サビでは〈口の中はたと血が滲んで 空に唾を吐く〉という、米津らしい生々しくも力強いフレーズが印象的だ。そして〈100年先も憶えてるかな 知らねえけれど さよーならまたいつか!〉と、“知らねえけれど”にやや怒りが滲んでいるようにも取れる、未来への希望と決意が込められている。

 獣道をかき分けながら、先頭に立っていろんな道を整備してきた人たちの生き様には、並々ならぬエネルギーがあった。米津はその大きなエネルギーの1つが“キレ”であり、この曲に宿すべきだと考えたという。

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