『光る君へ』吉田羊だからこその“強さと孤独” 詮子の最期に安らぎがあったことを願って

 『光る君へ』(NHK総合)第29回「母として」。まひろ(吉高由里子)の娘、賢子は数えで3歳になった。宣孝(佐々木蔵之介)は子煩悩で、賢子に愛情を注ぎ、賢子もまたそんな宣孝によくなついている。家族で幸せなひとときを過ごしていたまひろだったが、別れが突然訪れる。一方、道長(柄本佑)の姉で、一条天皇(塩野瑛久)の母・詮子(吉田羊)は、土御門殿で執り行われていた儀式の最中、倒れてしまう。

 第29回では宣孝と詮子がこの世を去った。最期の描かれ方は対照的だったが、2人の死はそれぞれ、まひろと道長に深い喪失感を与えた。

 宣孝がどのように最期を迎えたのかは、まひろにも視聴者にも明かされない。しかし、かえってそのことが宣孝の死を、突然訪れる人の死というものを印象付けていた。

 宣孝は第27回で、「そなたの産む子は、誰の子でもわしの子だ」と言い、まひろの全てを受け入れる揺るぎない愛を見せた。宣孝はその言葉通り、賢子にも深い愛を向ける。賢子と向き合う宣孝の大きな笑顔とあたたかな声色、賢子を抱き寄せる優しい手元が心に残る。宣孝を演じる佐々木のおおらかな笑顔は、まひろたち家族の笑顔を引き出す説得力に満ちたものだ。まひろたちが3人で月を眺める場面などは、演技を超え、本当に家族3人が月見を楽しんでいるような自然さがあり、驚かされる。

 また、佐々木の演技から死の影が一切見えてこないのも、その後の喪失感が強調されて魅力的に感じられた。北の方の従者によって告げられた突然の死。あまりにも唐突な出来事に呆然としていたまひろに、「父上は?」と問いかける賢子の無邪気な声が、宣孝がいなくなったことを実感させる。宣孝によくなついていた賢子を見て、宣孝との短くも幸せな日々を思い出したかのように泣き出すまひろの姿に胸が締め付けられた。

 一方、詮子の最期ははっきりと描かれる。彼女の最期もまた切ないものだった。これまでの回でも、詮子の身体が少しずつ弱っている様子が描かれていた。道長に背中をさすられる場面で、吉田の演技から詮子の身体を蝕む痛みや苦しみがひしひしと伝わってきて、見ているこちらも思わず苦しい表情になってしまう。

 四十歳を祝う儀式の場では、息子・一条天皇と言葉を交わし、安らいだ顔を見せていたが、病は突如として襲い来る。一条天皇は母を心配して手を伸ばすが、詮子は“穢れ”が移ってはいけないと言って制止した。痛みに苦しみながらも、詮子は女院としての気迫を失わない。

 そんな詮子だが、第27回では一条天皇から「朕も母上の操り人形でした」と言われてしまう。父・兼家(段田安則)には政治の道具として扱われ、円融院(坂東巳之助)からは寵愛を受けられず、孤独を深めた彼女は、息子のため、そして弟・道長のために身を捧げた。だが、息子からも拒絶され、打ちのめされてしまう。しかし皮肉にも、父の気質を最も受け継いでいる詮子は、自身に残された「家」を守るべきものとして、最期まで藤原家を思い続けた。息も絶え絶えの中、道長を呼び寄せ、彼女が願ったのは自分や息子、弟のことではなく家のこと。詮子が流した涙は切なかった。

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