『虎に翼』が朝ドラで生理の現実を描いた意義 “まとまり過ぎ”を避ける吉田恵里香の脚本術

 朝ドラことNHK連続テレビ小説『虎に翼』が絶好調である。第3週「女は三界に家なし?」(脚本:吉田恵里香、演出:橋本万葉)はとりわけ完成度が高かった。

 寅子(伊藤沙莉)たちが、女子部存続のために法的劇を行うことになるが、男子生徒の口さがないヤジによって途中で中断することになる。男子生徒に暴力をふるったことにより、寅子たちには処分が下って……という理不尽な展開。だが、そこからぐいっと物語は上昇していく。

 法廷劇の題材「毒饅頭殺人事件」に隠された真相が明かされるのは、ミステリードラマを観ているようで、真実によってこれまで見えていた像がみるみる様相を変貌させていく驚きには物語の王道があった。

 一見、女子部を応援しているような学校側が、じつは女性を軽視していた。それが「毒饅頭殺人事件」の改変からわかる。実在の事件をもとに劇化したものながら、そのあらましを学長が口当たりのよいように捏造していたことを、涼子(桜井ユキ)は知っていながらそのまま台本にまとめていたことを告白する。

 饅頭に毒を入れて男性を毒殺しようとした女性の職業は本当は医者という特殊な職業であったにもかかわらず、多くの女性の共感や同情を買うために、女給に改変していた。医者であれば毒に関する知識も取り扱う技術もある。そこを女給にしたことで、殺人の動機や方法がわかりづらくなってしまった。

 女性は弱者であるという先入観でまとめようとすることでことの本質がぼやけてしまう。知ってか知らずかどちらにしても、そんなことを行うことこそ罪であろう。

 「私たち(女性)はいつの時代もこんなふうに都合よく使われることがある」というナレーション(尾野真千子)が苦い。認められているようで、実は認められていない。「女性活用」という男性たちの大義名分のために使われるようなことである限り、男女平等など夢のまた夢なのだ。

 女性にも優秀で知性的な人物はいる。知性レベルは男性女性と分けることではないにもかかわらず、なぜか男性女性で物事の判断基準が分けられている理不尽。

 よね(土居志央梨)は女性であることで不遇を味わってきた代表的なキャラクターだ。

 地方の農家の生まれで、貧しいため、姉共々売られる境遇で、その売られ先が置き屋だったため、よねは拒否し、女性であることを捨てようとした。女性は体を売ることでお金を得ることができる。それは楽なことだと軽視されることもある。体を売ることがどれだけ悔しいことか理解されない。でもよねは、姉のためにあくどい弁護士に体を任せることになり。それをきっかけに法律を学び、こんな社会と戦おうと決意した。

 よねから見たら、銀行員の父を持つ寅子、男爵家の娘・涼子、弁護士の妻・梅子(平岩紙)、海外からの留学生・崔香淑(ハ・ヨンス)は恵まれている。でも彼女たちよりもっと腹が立つ存在が現れた。

 自ら主婦を選んだにもかかわらず、その境遇に不満を漏らす花江(森田望智)である。第1週で、「したたかに生きる」と寅子に自信満々言っていた花江が、希望であった主婦になったものの、姑はる(石田ゆり子)には褒められず、親友だった寅子は外に世界を広げ、自分は置いていかれたように感じてうじうじしている。この状況に疑問を感じていた視聴者も少なくないだろう。その気持ちをよねが代弁してくれたようだった。

 あれだけ寅子たちが恵まれていると腹を立てていたのに、彼女たちは弱音を吐かず、法を学ぼうとしているのに、花江は弱音を吐き、何もしようとしていないと今度は花江を攻撃するのはいかがなものかという気もしないではない。ただ、よねは、とにかくすべてに腹が立ってならないのだろう。それだけ悔しい思いをして生きてきて、理屈じゃない怒りが体いっぱいに溜まっている。

 だから寅子は、弱音や怒りも全部、吐き出そうと提案する。それを全部受け止めて、整理して、どうしたらより良い方向に進めるか、考えるのが法律の仕事であると寅子は考えているのである。

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