『不適切にもほどがある!』に宮藤官九郎が込めたものとは 「話し合いましょう」を大切に

『ふてほど』に宮藤官九郎が込めたもの

 今クールでもっとも話題をさらっているドラマといえば、金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系)で間違いないだろう。地上波の民放ドラマとしては3年ぶりとなる宮藤官九郎が脚本を手がけたオリジナル作品である。

 「チョメチョメ」「ニャンニャン」「宜保愛子」など矢継ぎ早に繰り出される昭和ネタ、主人公・小川市郎(阿部サダヲ)の不適切すぎる言動の数々、ツッパリ娘を演じる河合優実の好演、唐突に始まるミュージカル風演出、いつ果てるともなく続く八嶋智人イジり……。

 第3話まで放送されただけなのに、語りたいポイントが大渋滞を起こしている。ドラマは笑いと戸惑いと謎の感動を生み出し続け、金曜夜のトレンドワードは『不適切にもほどがある!』関連で埋め尽くされるのが恒例となった。ここまでわかった部分から、今後のこのドラマの見方を考えてみたい。

  昭和のゴリゴリな価値観を持つハラスメントの権化のような体育教師、“地獄のオガワ”こと小川市郎が1986年から2024年にタイムスリップし、令和の価値観に波紋を投げかける本作。宮藤は自作を次のように説明する。

「『不適切にもほどがある!』は、昭和からタイムスリップして来た主人公の目を通して、現代を生きる我々が『そういうもの』と受け入れている言動に『ほんとに?』と問いかけるドラマです」(『週刊文春』2023年11月16日号)

 第1話では後輩に「頑張れ」と言うだけでハラスメントになる会社、第2話では働き方改革によって思うように働けない現場、第3話では過剰なコンプライアンスへの配慮によって表現が萎縮してしまっているエンタメの世界について、登場人物たちがミュージカル風にディスカッションを繰り広げる。こうして現代の息苦しさについて問いを投げかけていく一方で、令和にいる犬島渚(仲里依紗)と市郎のロマンス(?)、昭和にいる娘の純子(河合優実)と市郎の親子愛が絡んでいくのがこのドラマの基本線だろう。

 市郎は思ったよりカジュアルに昭和と令和を行き来しているが、今後、極端にトリッキーな時制の伏線回収はないと予想する。たとえば、1986年なのにムッチ先輩(磯村勇斗)が1982年から1983年頃の近藤真彦に傾倒しているのは、それだけ幼い頃に好きだったものに憧れ続ける一途で純粋な男ということじゃないだろうか。細かすぎる伏線回収への期待は禁物だ。

 第3話ではタレントのスキャンダルに悩むテレビ局のプロデューサー・栗田(山本耕史)が〈誰が決めるハラスメント〉と(歌いながら)戸惑い、八嶋智人(八嶋智人)が〈ガイドライン決めてくれ〉と(歌いながら)訴えると、市郎が〈みんな娘だと思えばいい!〉と歌い上げて一つの回答を示した。

 この「ガイドライン」に対して、視聴者から疑問が呈されている。実際、娘に加害をする父親もいるし、そもそも娘だと思うか思わないか以前に、他人にハラスメントをしてはいけないのが当然だ。市郎は純子に平気で「ブス」と言うので、他人に対しても「ブス」と言うのはセーフということになってしまう。

 とはいえ、市郎は変化の途上にある。市郎の主張には作者の主張も含まれているとは思うが、完全に同じではないということに注意が必要だ。あくまで現時点での市郎の見解であり、それがドラマ全体のメッセージとは限らない。宮藤の言葉どおり、「ほんとに?」と考えるきっかけにすればいいのである。

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