『毒戦 BELIEVER 2』ハン・ヒョジュが魅力的な悪役に 空白に“正解”は必要だったのか?

『毒戦2』ハン・ヒョジュが魅力的な悪役に

 映画を観ていくと、この映画の主題の通り、ウォノやソンナクたちは、じわじわと、イ先生に近づき、その謎の人物像が明らかになっていく。イ先生のキャラクターの恐ろしさ、身勝手さ、エゴの描写は、『毒戦1』にはなかったものであり、『毒戦2』がもっとも力を注ぐべきところだろう。個人的には、『毒戦1』で描かれなかった空白から生み出したイ先生の人物造形が恐ろしく、映画の中心部分を担っていて成功していたと思える。

 彼は、身勝手に何かをはじめ、身勝手に終わらせ、その罪をまったく感じずに、ひとりのうのうと生きている人物として描かれていた。そして彼は非道なまでに、不必要なものをいとも簡単に捨て去る人物である。

 こうした、悪の身勝手さの裏で、悲しい思いを抱き、犠牲となって生きている弱き存在が幾人となくいたのだろうと思わせる。そういう意味では、クンカルや、ソンナクも彼の犠牲者であり、またイ先生を通して、ふたりはある部分では通じ合うところがあった。

 『毒戦2』は、前作と同じところ、つまり雪深き山の中の山荘で銃声がするところで終わる。前作の終わりには、銃声が聞こえるだけで、どちらかが銃に倒れたのか、それを撃ったのはどちらなのか、もしかしたら、銃声がしただけで、誰も犠牲になっていないのか、すべてが藪の中で終わるのだ。

 だからこそ、我々は想像を巡らせる。私は、ヨンナクを追ってきたのは、ウォノであると思って観ていたが、それすらも正解はわからないのである。

 『毒戦2』は、こうした前作の謎を補完してくれた映画ではあるが、空白の時間に正解などなく、何通りあってもよいのではないかと思わせるところもあった。そして、ペク・ジョンヨルとキム・ヒジンが出した、一つの終焉について触れたい。

 主要な登場人物同士が銃を向ける、殺すということに、韓国ノワールには重要な意味がある。憎しみから銃を向けるということもあるが、憎しみ以上の愛情や執着、そしてシンパシーがあるからこそ、泣く泣く銃を向けるということもある。

 そういう意味では、クンカルとソンナクの間には、複雑に絡み合った感情が見てとれたが、今回のヨンナクとウォノの間には、そのような感情が十分には描かれていないように思った。前作を観ていれば、愛憎や執着の感情を補完することもできるが、冷静に観ると、前作よりもそのような感情が薄まっていたのではないかと思うところは少し残ってしまった。

■配信情報
『毒戦 BELIEVER 2』
Netflixにて独占配信中

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