三宅唱、濱口竜介らの“ホーム”だった伝説の映画館 オーディトリウム渋谷を千浦僚が回顧

 また、その後のオーディトリウム渋谷は日本の若手映画監督たちの発信の舞台となりました。そもそも定評あるアート系映画の配給会社とパイプがあるわけでもないので90年代的ミニシアターっぽい非ハリウッドの外国映画で番組も組めず、映画美学校と地理的にも心理的にも距離が近かったし、顔を合わせて話のできる作り手の映画をかけることがおもしろかったから、その方向性でやっていました。

 代表的な例だと富田克也監督の『サウダーヂ』、三宅唱監督の『Playback』、濱口竜介監督の『親密さ』はオーディトリウムが“ホーム”だったと思います。彼らは90年代のミニシアター文化を吸収してきた作り手でもありました。また、そのほかにも藤井道人監督とその仲間たちも上映会場として、篠崎誠監督と鈴木卓爾監督は自作のロケ場所としてオーディトリウムを使ってくれました。山本政志監督は自身の主宰する「シネマインパクト」という俳優ワークショップのゴールを担当講師による監督作品の上映@オーディトリウム渋谷、としたのでこちらはかつてのプログラムピクチャーさながらに、かけることが決まっている映画が作られているのを見守る、みたいなことになりました。別にこちらが、劇場がすごいのではなく、常に製作者、作り手たちがすごい、充分に力を集めて放とうとしているわけで、たまたまオーディトリウム渋谷はそこにどうぞカモン、とかかわれたのだと思います。こういうことは、渋谷に複数のミニシアターがあることの相互の関係や補完からこうなっていた、みたいな感じはありました。ユーロスペースよりやんちゃで謎のことをワチャワチャやってるというポジションのおいしさというか。

 撮影機材と上映機材のデジタル化の進行はインディーズ映画を活気づけましたが、クラシック映画の上映状況も変えました。DVD、Blu-rayソフトの会社がソフト化権とともに上映権も買っていて、そのおかげでライナー・ヴェルナー・ファスビンダーのテレビ映画や60年代のジャン=リュック・ゴダール、ロジャー・コーマン製作映画のリバイバルが持ち込まれて上映できました。こういう35mmフィルムを介さないでもDCPなどで旧作リバイバルができるというのはここ近年のミニシアター番組の太い新ジャンルになっている。さらに、この方向性をもっと古典よりに徹底して、洋邦のクラシックをガンガンかける名画座として定着しているシネマヴェーラ渋谷を見ると、あれ、かつて思ったパリのような映画都市に東京が近づいたのかな、とも感じます。

 新型コロナ感染症によって、ひとが集うことの良さやそれに対する開かれた感覚は一回切られたような気もします。配信映像の鑑賞が隆盛になってきており、映画館で映画を観るということが廃れていっている。しかしそのおもしろさや味わいはいまだにあるはずです。それが観客の体験の選択肢として、文化としてまだ続くことを願っています。

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