漆器づくりの“現在の苦境”と“未来への可能性” 『バカ塗りの娘』から学ぶ理想的な“生き方”

『バカ塗りの娘』から学ぶ生き方のヒント

 アジアの伝統工芸として知られる“漆器”。その原料となる天然樹脂“漆(うるし)”は、日本ではなんと縄文時代から、もの作りに使われていたのだという。英語圏において、陶磁器を「china(チャイナ)」、漆器を「japan(ジャパン)」と一部で呼んでいた歴史が示すように、美術工芸品から日用品まで、人々の営みとともに在り続けた漆器は、まさに日本の文化を象徴するものだといえる。

 にもかかわらず日本の漆産業は、日本人の生活様式の変化や、海外の漆製品の輸入、生産地の過疎化などから、いま国内で危機的状況にあるという。『バカ塗りの娘』は、青森出身の作家、髙森美由紀の小説を原作に、そんな漆器づくりの“現在の苦境”と、“未来への可能性”を、漆職人を目指す一人の若者の姿を通して表現する日本映画だ。そしてそれは、多くの人にとっても、生きていくためのヒントを得ることになるかもしれない。

 ここでは、そんな本作『バカ塗りの娘』を通して浮かび上がってくる、われわれが未来に向かうために必要な考え方や生き方とは、どんなものなのかを考えてみたい。

 本作の舞台は漆器の著名な生産地、青森県津軽地方。堀田真由が演じているのは、その中心地である弘前市に住む、「津軽塗(つがるぬり)」の職人の娘、青木美也子だ。漆塗りの仕事が年々減って苦しい家計を助けるため、美也子は地元のスーパーマーケットでパートタイムの仕事を続けているが、珍しく家にまとまった数の注文が入り、父親の清史郎(小林薫)の仕事を手伝うことで、あらためて漆塗りの仕事に惹きつけられていく。

 小林薫が見事に演じている、ある意味典型的な職人を代表している清史郎は、無口で気難しい性格。その経済状況の厳しさから、美也子の母親(片岡礼子)は数年前から家を出ていて、兄のユウ(坂東龍汰)もまた家業を継ぐことを拒否し、外で美容師として活躍している。いまでは清史郎と美也子の二人暮らしになってしまった青木家は、かつての賑やかさを失っている状況だ。

 家族がバラバラになってしまった一因には、やはり漆塗りの産業としての衰退がある。本作には、農業活性化アイドル「りんご娘」の旧メンバーである、王林とジョナゴールドが出演して、ご当地映画を盛り上げているが、そんなりんご栽培は、高齢化と、少子化の影響による後継者不在などが重なり、農園が適切に管理されなくなる「放任園」問題に悩まされている。青森で最も有名な産業がこのような状態にあるのだから、津軽塗のような伝統工芸もまた、同じ悩みを抱えることは避けられない。本作で漆職人の跡継ぎとして期待されていた兄のユウが、家業を見限らざるを得なかったのも、仕方ないところがあるのかもしれない。

 気さくな人気者として学生時代を過ごしてきたユウに対し美也子は、自分の考えがなかなか言えないような消極的な性格で、うまく世の中に馴染めていないキャラクターだという点も興味深い。例えば、「朝ドラ」ことNHK「連続テレビ小説」では、多くの場合、主人公は視聴者に笑顔と元気を届ける、元気いっぱいのヒロインとして登場する。だが本作にとっては、主人公がそのような性質ではないところが、むしろ相応しいということが、物語が進んでいくうちに分かってくるはずだ。

 劇中で説明されるように、タイトルにもある「バカ塗り」とは、“塗っては研ぐ”を繰り返し、バカなほどに手間暇をかける津軽塗りを表す言葉だ。「バカ」と言うと聞こえは悪いが、「バカ正直」「バカ丁寧」など、愚直なほどに堅実に、ただひたむきに作業に向き合うという性質は、丹念に作業を繰り返して作品を生み出し続ける職人にとって最も必要なものではないのか。その意味においては、何でも上手くこなせてしまう要領のよいユウよりも、不器用で内にこもる、真面目な性格の美也子の方が、じつは「バカ塗り」の適正があるのかもしれない。

 とくに近年の日本人は、コミュニケーション能力だったり、瞬発的な対応力や議論の強さが重要だと考えられてきたところがあるように思う。その一方で、熱心に一つのことを極め抜く不器用なタイプは、実力があっても軽視されているところがあるのではないか。漆塗りの世界にきっぱりと見切りをつけることができないで、不合理にも職人であろうとする美也子や父親の清史郎は、まさにそういう性質の人間だからこそ、人一倍苦労してしまうのだ。本作に登場する、少子化から廃校になってしまった美也子の母校が象徴しているのは、同じように時代の流れに置き去りにされてしまった父娘の境遇でもあるのだろう。

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