山田裕貴&赤楚衛二の演技合戦に震える 『ペンディングトレイン』で見えた本当の“強さ”

『ペントレ』山田裕貴&赤楚衛二の演技合戦

 いつもと変わらぬ日々が突然途絶え、見ず知らずの人間が乗り合わせた電車の車両ごと荒廃した世界にタイムワープしてしまう。『ペンディングトレイン―8時23分、明日 君と』(TBS系)のこの現実離れしたSF世界も、誰もが予測できなかった未曾有のパンデミックを経験した(経験している)ばかりの今観ると、単なるフィクションと一蹴してしまえない切実さがあった。

 極限の状況では、自身の本音も否応なしにも引きずり出され、周囲と手を取り合って生きていくほかなくなる。そんな中で、現実社会ではなんとなくやり過ごし、見て見ぬ振りができていたそれぞれの問題が露見し、心のシャッターを無理やりにでもこじ開けられていく乗客らの姿が描かれた。

 特に、普段ならば決して交わることのなかったであろう直哉(山田裕貴)と優斗(赤楚衛二)の2人の血の通ったやりとりには終始心震わされた。

 歳の離れた異父弟の達哉(池田優斗)を一人育てながらカリスマ美容師にまで上り詰めた矢先、その達哉が逮捕されてしまい無力感に打ちひしがれていた直哉。そして自身の独断で尊敬する先輩・高倉(前田公輝)を負傷させてしまったことにずっと負い目を感じ続ける消防士・優斗に巻き起こる変化は、人と人が関わることの煩わしさをはるかに超えた希望を見せてくれる。

 人より随分早く大人になることを余儀なくされ、常に自分のことは後回しだった“ヤングケアラー”の直哉と、先輩から身体的な自由も消防士としてのキャリアも奪ってしまった自分は他人の何倍も誰かの役に立たないと存在価値がないと自罰的な優斗。この2人の根本は、実は似通っている。誰も本人のことを責めてなどいないし、「やれるだけやっている」どころか「やれる以上やっている」2人なのに、自分で自分のことを許してあげられない、認めてあげられないのだ。タイプが違うかと思いきや、実は合わせ鏡のような2人だ。

 直哉の場合は、元々いた世界も常に周囲からの無関心に晒され、他の人間が当たり前に手にしているものが自分にだけ用意されておらず、頼れる人は自分だけというサバイバル下で、弟に自分のような孤独を味わせまいと必死に生き抜いてきたのだ。弟の成長だけが励みで、自分の生きる目的だった。それなのに、そんな弟に寂しい思いをさせていたという自分が許せずやるせないのだろう。弟のSOSに気がついていながらも「何甘えてんだよ、これだけ支えておいてもらって」という自分の気持ちを禁じ得ず、忙しさにかまけて積極的に関わることのできなかった自分のことが。

 自己犠牲ばかりを伴う呪縛にかけられているのは優斗も同じで、地球が滅亡するかもしれないその日にまで「誰かを救えるように」なんて言って、自分は最後まで残ると口にする。それは、タイムワープしてしまった2060年から元いた世界に戻れるというときに一人ここに残ると言い出した直哉の姿と重なる。そんな優斗に、直哉は“お前に助けられた人間がここにいるよ”と言わんばかりに、彼がもう十分やってきたことの証明として自らが迎えに行く。これまでもう何度も十分すぎるほどに助けられてきたこと、そしてそんな優斗のおかげで命だけじゃなく心まで引っ張り上げてもらえた直哉が言う。「生きよう! 何があっても」と。

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