『インディ・ジョーンズ』から39年 キー・ホイ・クァンが『エブエブ』で大復活するまで
ハリソン・フォード扮する考古学者・冒険家のインディ・ジョーンズが、秘宝を求めて世界を駆け巡るアドベンチャー映画『インディ・ジョーンズ』シリーズ。その第2作となる『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984年)にインディの相棒ショート・ラウンド役で映画デビューを飾ったキー・ホイ・クァンが、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(以下、『エブエブ』)で大復活を遂げるまでの道のりを振り返ってみたい。
1971年8月20日にベトナムのサイゴン(現ホーチミン市)で中国系一家に生まれたクァンは、1979年に家族と共にアメリカへ移住。その4年後、演技の経験が全くなかったクァンに信じられないようなチャンスが転がり込むこととなる。スティーヴン・スピルバーグ監督とプロデューサーのジョージ・ルーカスは、『魔宮の伝説』でショート・ラウンド役を演じる中国人の少年を探し始めるが、その過程は難航。その結果、ロサンゼルスのチャイナタウンで公募が行われることになったという。
そして、このオーディションに参加したのが、他でもないクァンの弟だった。クァンは弟の付き添いで母親と共に会場へ足を運び、オーディション中にカメラの後ろから弟にアドバイスを与えていたのだとか。そんなクァンにキャスティング・ディレクターが目を留めて台本を読むよう依頼し、最終的に弟ではなく兄のクァンがスピルバーグの事務所から運命の電話を受け、大作冒険映画でスクリーンデビューを飾ることになったのだ。
本作で見せたコミカルな演技と愛らしい存在感で一躍人気者となったクァンは、1980年代を代表する宝探しの冒険映画『グーニーズ』(1985年)にもデータ役で出演。俳優として輝かしい未来が待ち受けていたかに見えたが、当時のハリウッドではアジア系の活躍の場が限られ、クァンの俳優としてのキャリアは低迷してしまう。
一旦俳優業を中断したクァンは、映画製作を学ぶために南カリフォルニア大学の映画学部へ進学。映画『炎のマーシャルアーツ』(1990年)やコメディ映画『原始のマン』(1992年)などで出演を重ねながら、『X-MEN』(2000年)や『拳神 KENSHIN』(2001年)といった作品に武術指導のアシスタントとして参加。映画製作に携わり続けたが、かつて子役として世界中の人気を集めた頃の栄光には程遠い状態が続く。しかし、そんな不遇のクァンに再び大きな転機が訪れることになる。
コロナ禍で映画業界が苦境に立たされた時期、健康保険が切れるほど窮地に陥ったクァンに救いの手を差し伸べたのが、『スイス・アーミー・マン』(2016年)で監督・脚本を手がけたダニエル・シャイナートとダニエル・クワンだった。監督コンビは自身の新作映画『エブエブ』で、ミシェル・ヨー演じる主人公エヴリンの夫ウェイモンド役にクァンを起用することを決める。
人生に疲れ果てた中年女性エヴリンが、ある日突如としてマルチバースを舞台に、ヒーローとして全宇宙を救う戦いに身を投じて行くという、奇想天外な物語が口コミで話題を呼び、『エブエブ』は全米中を巻き込む大ヒットに。