『おんな城主 直虎』を観れば『どうする家康』がもっと楽しくなる 井伊直政登場に寄せて

『直虎』を観れば『どうする家康』が楽しく

 さて、2人の“虎松”の話に戻ろう。菅田将暉演じる「直虎版」虎松が、爽やかな好青年でありながら、時に胸に抱いた井伊家再興への野望を抑えきれずに顔全体で悔しがったり叫んだりと、爽やかならざる姿を垣間見せる愛すべきキャラクターとして描かれたのは、過酷な身の上かつ、当主となるはずの家を失うなど不遇の時代を過ごしたものの、寺田心が演じていた幼少期の頃より、直虎はじめ井伊谷の人々や、義父とその家族に愛されて健やかに育ったことがわかる描き方がされていたからでもある。

 そして「理想の上司」のような家康のもと、先代である直虎・政次(高橋一生)譲りの発想力と機転で、着実に出世の道を進み、徳川四天王・井伊直政になっていくという出世物語になっていた。彼は、『鎌倉殿の13人』(NHK総合)における主人公の息子・北条泰時(坂口健太郎)のような、まさに「希望」の象徴だった。

 一方、板垣李光人演じる虎松が、古沢良太脚本『どうする家康』において僅かな登場時間の間に担わされたのは、「遠江の民」の象徴としての役割だった。家康は、彼を「遠江の民の姿そのもの」として認識し、「こやつが次、我らの前に現れる時、更なる敵となっているか、あるいは味方となっているか、それは我らの行い次第」と言って彼を罰しなかったからだ。「民に見放された時こそ、我らは死ぬのじゃ」という、第8回において家康の夢枕に立った今川義元(野村萬斎)の言葉が重なる。

 『どうする家康』において、何より心動かされるのは、民の姿である。そして、強く悲しい女性たちの物語である。例えば、「現世の罪は現世限り」と歌い踊る人々の底知れぬエネルギー。一向一揆の末、倒れた家康の目の前に横たわっていた若者の亡骸が伝える戦いの不毛さ。椿の花のように散った田鶴(関水渚)の思い。お市(北川景子)のために命を燃やして走った阿月(伊藤蒼)の人生。連綿と続く人々の悲しみのその先に、戦さに翻弄され続けた土地でなんとか生き延びた少年・虎松が花を纏い、立っているのだとしたら。虎松が「次に現れる」時、彼はもしかしたら、民の「希望」となり得るのかもしれない。

■放送情報
『どうする家康』
NHK総合にて、毎週日曜20:00~放送
BSプレミアム、BS4Kにて、毎週日曜18:00~放送
主演:松本潤
脚本:古沢良太
制作統括:磯智明
演出統括:加藤拓
音楽:稲本響
写真提供=NHK

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