大事なのは「何を得て、何を失うか」の選択 『野獣の血』は韓国ノワールに新風をもたらす

『野獣の血』は韓国ノワールに新風をもたらす

 齢四十にもなって業界ではいまだ「若手」扱い。上を見渡せば年長者ばかりで、自分がトップに成り代わる望みは薄い。人生で大きなことを成し遂げていない焦りも少しはあるが、小さな世界の高くも低くもない地位にとどまり、さして波風の立たない日々が続くなら、それでいいと思っていた。

 しかし、そのうち「時代の変わり目」とか「世代交代の時期」とかいったムードが周囲に漂い始める。そう簡単に踊らされてたまるかと警戒しつつ、「このままでいいのか?」という内なる声も大きくなっていく。やがて、自分で望んだわけでもないのに、イチかバチかの大勝負に出るときが……。

野獣の血

 そういったシチュエーションは、けっこう社会のそこかしこに遍在しているはずだ。権力やヒエラルキーが存在する場所であれば、大企業でも、老舗の商店でも、はたまた伝統芸能の世界でも。男性で言えば40歳を過ぎたあたり、いわゆる厄年と言われる年齢に発生しがちな現象であり、場合によっては「人生の転機」ともいう。韓国映画『野獣の血』の舞台となるのは、1993年の釜山、とある辺鄙な港町を縄張りとしたヤクザ社会。40歳になった主人公ヒス(チョン・ウ)は、組織の中途半端なポジションにいたばっかりに、おびただしい量の血と暴力にまみれることになる。

 ヒスを取り巻く環境は複雑だ。町の顔役であるソン(キム・ガプス)に目をかけられ、観光ホテルの経営を任されているが、跡目を継ぐのはおそらく親分のドラ息子だろう。小さないざこざは日常茶飯事で、歯止めのきかない狂犬ヤクザのヨンガン(チェ・ムソン)、冷酷な高利貸しのホン社長(ユン・ジェムン)など、頭の痛い連中も多い。さらに、釜山一帯を牛耳る大組織・ヨンド派が触手を伸ばしてきそうな気配もある。同じ施設出身の親友チョルジン(チ・スンヒョン)も、最近はヨンド派の一員としてヒスに接触を始めてきて、何やらキナ臭い。

野獣の血

 いつかは長年の恋人インスク(ユン・ジヘ)と一緒に、このちっぽけな港町を出てペンション経営でも……と慎ましい未来を夢みるヒス。だが、その思いとは裏腹に、彼は想像だにしなかった巨大な計画に巻き込まれていく。

 韓国映画には闇社会を描いた名作・傑作が多々あるが、スリリングな策謀劇としての覇権争いをこれほどみっちり描いた作品は、ありそうで実はなかった気がする。1993年という時代背景も面白い。ユン・ジョンビン監督の『悪いやつら』(2012年)でも描かれたように、「犯罪との戦争」を宣言した当時の韓国政府が取り締まりを強化して以来、犯罪組織がより多岐に活動領域を広げることになった皮肉な時代性も描かれているからだ。その心理戦を背景に、主人公が生存と喪失の美しい双曲線を描いていくサバイバル劇は、ノワールとして非常に完成度が高い。ジャンルムービーとしての魅力を色濃く伝えるとともに、あまり類を見ない新鮮味も感じさせるのは、本作が『鯨』(2010年/晶文社)で知られるベストセラー作家、チョン・ミョングァンの映画監督デビュー作だからだろう。

野獣の血

 ひとつひとつのショットには明確にビジョンがあり、キャスト陣の個性と魅力を引き出す演出も的確で、映画作家としても天性の巧さを感じさせる。だが、何よりこの映画を支えているのは、実感を伴うエモーションと人間関係の移ろいをすべての展開に込めた手厚い作劇だ。本職のストーリーテラーが醸す矜持と迫力とでもいうべきか、ジャンルの「型」をなぞるだけの職人監督とは一線を画した独自のアドバンテージを感じさせる。本作では、同時期デビューの作家キム・オンスによる原作小説を預かって映画化しているだけあって、余計に気合が入っていたのかもしれない。

 暗黒街に張り巡らされた複雑怪奇な人間模様のなかで、生き残りをかけて立ち回る男の物語は『ミラーズ・クロッシング』(1990年)を想起させる。また、ヤクザ者たちの所帯じみた生活感をリアルに描き出す視点は『フェイク』(1997年)にも通じるものがある。そういったギャングムービーのなかでも「外れた魅力」を醸し出す秀作の系譜も、チョン・ミョングァン監督は意識していたのかもしれない。定型を活用した部分と、型にはまらない描写を織り交ぜて、独自のリアリティを醸し出す手腕はなかなかのものだ。

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