『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』は“実写映画”なのか 提示された“新しい現実”

『アバター:WoW』は“実写”なのか

モーションキャプチャと『アバター』のテーマ的関係

 モーションキャプチャの活用は、本作の物語のそのままメタファーにもなっていると筆者は思う。裏で使われている技術がメタファーというのは、おかしな言い方だが。むしろ、物語がモーションキャプチャのメタファーと言うべきか。

 本作は、車椅子生活だった地球人のジェイク・サリーが、その身体から精神データを取り出し、ナヴィの肉体へ乗り移る物語だ。モーションキャプチャとは、人間の動きをデジタルデータ化し、別のCGキャラクターに当てはめる技術である。モーションキャプチャという技術は、本作の物語と「肉体の乗り換え」という点で共通している。

 前作は、ジェイクが地球人の肉体で過ごすシーンも多く描かれたが故に、その肉体の可変可能性について、より強く想いを巡らせる内容だった。ところが、『アバター:WoW』でのジェイクは、終始ナヴィの肉体で過ごすことになるため、こうした可変可能性のメタファーが弱まっている。

 代わりに、2人のキャラクターがそれを担う。クオリッチ大佐と14歳のキリだ。クオリッチ大佐は前作で死んだが、今作では記憶と人格データをナヴィのアバターに移植することで復活した。肉体の死後でもデジタルデータがあれば復活できるという、死の超越を示唆するキャラクターとして、今作は前作以上に強い存在感を発揮している。

 そしてシガニー・ウィーバーが演じたキリは、より強く可変可能性の肉体を象徴する。73歳の彼女が14歳の肉体のキャラクターを演じられるのは、まさにモーションキャプチャのなせる技であり、アバター上では肉体年齢など関係がないのだという主張にも見える。

 「アバター」という言葉は、今日デジタル世界でのボディを示す言葉として定着しているが、メタバース的な想像力の世界では、死も年齢も超越してしまう可能性を、この2人のキャラクターは示唆しているように思う。

 本作は、このように外見を変えられる世界を前提しており、その世界観そのものが、「ダイナミックにいかなる形状をも取りうる能力」すなわち「原形質性」を持つアニメーション的な感性に近い。

48と24/フレームレートの使い分けというアニメ―ション的発想

 本作の技術において、もう1つの重要なポイントはハイフレームレート(HFR)の活用だ。

 一般的な映画作品は、1秒間に24フレームの画像で構成されている。HFRとは、1秒間に24以上のフレームを用いるものだ。本作は部分的に1秒間48フレームで構成されており、24フレームと48フレームのショットが併存する作品となっている。

 モーションキャプチャは外見の可変可能性のメタファーだったが、フレームレートは我々の時間感覚の変容と言える。そして、このフレーム数の併用テクニックは、大口孝之氏が以下に説明するように、アニメーション的な演出テクニックだ。

 キャメロンは、不要な生っぽさを避けるため、通常のシーンでは24fpsで上映し、動きの早い場面のみHFRを使うというプランを立てた。これは日本のアニメが、基本的に秒8枚で作画し、動きに合わせて12枚や24枚を組み合わせるという考え方に似ている。ランドーによると、アップの場面などは24fpsとし、ストロビング(被写体が複数ダブって見える現象)が発生するような場面は48fpsにしたそうである。(※3)

 本作は、キャメロンが最も描きたかったであろう海を中心的な舞台にしており、海のシーンは基本的に48フレームが採用されている。これは、多くの人が指摘している通り大成功だと筆者も思う。48フレームは、24フレームと比べてぬるっとした動きに感じる。だが、水中のシーンでは、むしろ泳ぎの滑らかさが強調される結果となり、高い効果を生んでいる。また、フレーム数の増加により実在感の向上したことによって、まさに眼前に海があるという感覚が強くなっている。

映画『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』本予告編【異次元の”没入型”映像体験】12月16日(金)劇場公開

 私見では、本作の最大の見せ場は、水の民の生活に馴染んでいく様子を丹念に描いた中盤のシークエンスだ。アクションシーンもなく、物語としては停滞するこの中盤こそキャメロンが最も見せたかったものではないか。ここに水中モーションキャプチャもHFRの技術の粋が詰め込まれており、本作最大の技術的売りであるHFRの効果が最も強く体感できる。

 HFRで本作を鑑賞した人は、その驚異的な実在感に驚いたことだろう。普段見慣れている24フレームの映像とはまるで異なる。激しい動きでも残像感が残らず、極めてクリアに視認できる。むしろ、普段の24フレームの映像が、いかに現実とは異なる「シャープでケレン味ある動き」に加工されているのかがよくわかるだろう。

 しかし、このリアリティの向上は、時に映像の迫力を奪うことがある。実際に、これまでもHFRに挑む作品はいくつかあったが、いずれも賛否両論といったところで、批判の多くは動きのヌルヌル感が気持ち悪いや劇映画でこれをやられるとリアルすぎて嘘くさいなどというものだ。

 アニメーション的な見方で24フレームと48フレームの違いをざっくりとポジティブな言葉で評価すると、24フレームの方が運動をシャープに見せて、48フレームの方が運動を優雅に見せる、と言える。

 この特徴を踏まえると、HFRはアクションシーンにおいては諸刃の剣でもある。パンドラの生物に乗って飛翔したり、海に潜るなどのアクションは、優雅さがあり素晴らしいのだが、一方でメカニックのアクションはシャープさが減退している。戦闘ヘリから発射されるミサイルなども速度が遅く感じられたりもする。ただ、キャメロンのメカニックデザインは抜群に素晴らしいので、48フレームの方がそのデザインの隅々、一挙手一投足まで舐めるように眺めることができるので、これも一長一短かもしれない。

 さらに付け加えれば、その無骨なメカの動きとパンドラの生物の優雅な動きは、48フレームによってより対照的になったとも言える。そこにもキャメロンの主張が反映されているのかもしれない。侵略者のメカニックの鈍重さは、彼らの生み出した兵器をより憎らしい印象にするし、パンドラの自然生物は運動の優雅さを強化されることでさらに美しさが強調される。

 ちなみに、本作の撮影自体は全て48フレームだとプロデューサーのジョン・ランドーが証言している(※4)。後から、ショット毎にフレーム数を調整しているわけだ。これは、近年のケレン味あるアクションを演出する3DCGアニメーションとほとんど同じ発想で、この制作過程もまたアニメーション的だ。

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