『グレムリン』が誕生するまで スピルバーグ、ジョー・ダンテらの来歴を辿る

『グレムリン』スピルバーグらの来歴を辿る

 12月16日の『金曜ロードショー』(日本テレビ系)で、スティーヴン・スピルバーグが製作総指揮を務めた『グレムリン』が放送される。

 普段はかわいらしい生き物のモグワイが、「光を当ててはいけない」「水をかけてはいけない」「夜中の12時過ぎに食べ物をあげてはいけない」の3つのルールを破ったことで、残虐なグレムリン(小悪魔)に変身し、アメリカの田舎町が恐怖に晒される、というホラーコメディ。本稿ではその製作にまつわる背景について探る。

 この映画が公開されたのは、今からおよそ40年前となる1984年。スピルバーグがイケイケでノリノリだった時代だ。『ジョーズ』(1975年)、『未知との遭遇』(1977年)で天才フィルムメーカーとして名声を博し、ジョージ・ルーカスと組んだ『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981年)で、巨大フランチャイズとなる『インディ・ジョーンズ』シリーズの礎を築く。そして『E.T.』(1982年)では、当時の映画史上最大となる興行収入を記録。まだ30代にもかかわらず、名実共にキング・オブ・ハリウッドとして映画産業の中心に鎮座していたのである。

 そしてスピルバーグは、若く才能のあるクリエイターに(彼自身も充分に若かったのだが)、映画作りのチャンスを与えるプロデューサーの役割も果たしてきた。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズのロバート・ゼメキス、『ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎』(1985年)のバリー・レヴィンソン、『ファンダンゴ』(1985年)のケヴィン・レイノルズ……。

 その映画工房として、スティーヴン・スピルバーグがキャスリーン・ケネディ(現ルーカスフィルム社長)、ケネディの夫で、自らも『アラクノフォビア』(1990年)や『生きてこそ』(1993年)といった監督作を発表したフランク・マーシャルと共に設立した製作会社が、アンブリン・エンターテインメントだ。満月をバックに自転車が空を飛ぶ、『E.T.』を模したロゴマークを見たことがある人も多いことだろう。この会社名は、彼が学生時代に製作した作品『Amblin'』に因んだもの。30分にも満たないこの小品に感銘を受けたユニバーサルのお偉方が、弱冠20歳のスピルバーグに7年間のディレクター契約を提示。キャリアの出発点となった作品のタイトルを、自分のプロダクションに名付けたのである。

 『グレムリン』もまた、アンブリン・エンターテインメント製作によるホラーコメディ。アメリカのサバービア(郊外)で何らかの超常現象が発生するというモチーフは、『E.T.』やプロデュース作品の『ポルターガイスト』(1982年)でも描かれてきた、極めてスピルバーグ的な主題と言っていいだろう。監督に抜擢されたのは、年齢で言えばスピルバーグよりも一つ年上のジョー・ダンテ。

 ダンテが「スティーヴンは(『グレムリン』の)脚本を読んだとき、すでに自分の会社を興すというアイデアを練っていた。彼は低予算のホラー映画でスタートを切りたかったので、私を選んだというわけです。スティーヴンは私の『ピラニア』を観ていたし、『ハウリング』も観ていました」と語るとおり(※)、本作は1100万ドルと意外と低予算。『ピラニア』(1978年)や『ハウリング』(1981年)など、低予算ホラーを撮ってきた彼に白羽の矢が立ったのは、少ない製作費でも充分面白い映画が撮れるだろうという、スピルバーグの鋭い読みがあったのだ。

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