『ストレンジ・ワールド』がいま公開される意義 描かれた家族3世代の考え方の違い
想像もつかない不思議な光景が広がり、見たこともない生物が活動する世界。自分たちの常識や既存の考え方が通用しない世界。そんな場所での冒険を描く、ディズニー・アニメーション映画『ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界』は、われわれ観客に、おそらく想像しているよりも大きな衝撃と、いまこの作品が公開される意義を感じせてくれる一作だ。
不思議な植物「パンド」から採れるエネルギーを利用して、科学技術、経済発展を遂げた国「アヴァロニア」が、物語の起点となる。この便利な作物が原因不明の問題によってエネルギーを生み出せなくなったことで、パンドの発見者である中年の農夫サーチャー・クレイドと、その家族、アヴァロニア大統領を含めた探検チームが、無数のパンドの根がつながっている未知の地下世界を冒険するというのが、本作のあらすじである。
地下の世界には、これまで見たことのないような、常識はずれの光景が広がっていた。奇妙な生物たちが奇妙な営みを繰り返し、不思議なルールで理解し得ない秩序を生み出しているのである。メルダッド・イスヴァンディ、ジャスティン・クラム、ラリー・ウーなど、近年のディズニー作品の圧倒的なビジュアルを生み出してきたアーティストたちの創造力が、この不思議な世界の表現に繋がっている。
物語の中心になるのは、クレイド家の面々。とくに、パンドの発見により農夫としてその普及に努めることを選んだサーチャー・クレイドと、サーチャーの父である、消息を絶った偉大な冒険家イェーガー・クレイド、そしてサーチャーの息子であり、家業となった農家の仕事よりも冒険に憧れているイーサン・クレイドという、3世代の葛藤が主軸となる。
勇敢でマッチョ、何を犠牲にしてでも冒険の目的地へと突き進んでいく直情的な父イェーガーに対し、周りに気を配る繊細さを持つサーチャーは疑問を持ち、親子二人の道は、未踏の地を攻める冒険家と、土地を守り生産する農業従事者という、正反対の方向に分かれることとなった。このような個人の趣向や世代間による考え方の違いは、さまざまなケースでわれわれも直面してきているはずである。
二項対立する思想は、古くから文学や娯楽のテーマとなってきた。本作は、多くの作品と同じように、そのぶつかり合いのなかで導き出される、双方の融和と問題解決の道筋が示されることとなる。だが本作の真骨頂となっているのは、その後の展開だ。サーチャーの子、イーサンは、そうやって生み出された解答をすら否定し、さらに広い視野から、誰もが思いもつかなかった解決策を編み出そうとするのである。
この3代の思想は、北アメリカの歴史に重ね合わせることができる。ヨーロッパからの入植者たちによる、征服と開拓の時代。石油や電気といったエネルギーを利用するようになった第二次産業革命の時代。そして、現代である。開拓時代は、領土や生活圏を拡大させ、繁栄の基礎を広げていくことが偉大なことだと考えられていた。少なくとも、入植者や新しいビジネスの可能性を広げた資本家たちにとってではあるが。その前の時代にアメリカ大陸を発見したヨーロッパの冒険者たちも、もちろん同様だ。
その後入植者たちは、冒険や侵略によって獲得した広大な土地で、大規模な生産活動をするようになり、ついにはアメリカを世界で最も経済的に豊かな国とすることに成功するのである。チャンスを感じた大勢の移民が増え続け、豊かさを求めた人々が、さらなる繁栄に寄与することとなる。
しかし、ここで起こるのが公害問題だ。人間の経済活動はすでに地球規模のものとなり、このまま既存のエネルギーを使い続け、便利な生活を維持していけば、人間の住む環境や生態系が犠牲になることは必至だ。生態系のレベルで考えても、人間の急激な発展や繁栄は、むしろ自滅までのスピードを加速する行為だと考えられる。だからこそ、いま「サステナビリティ(持続可能性)」がさけばれているのだ。
なかでも緊急性が高いのは、地球温暖化に繋がる温室効果ガス排出問題だ。この危機が科学的に判明しているとはいえ、いまだ社会で力を持っている人々が既存のビジネスを存続させようとし、市民の多くが便利な生活を続けたいと考えた結果、“やめられない、止まらない”のが、現在の状況なのである。