“音”を知ればもっと映画が豊かになる! 『擬音 A FOLEY ARTIST』が映画史に投じた一石

『擬音』が映画史に投じた一石

 映画とは、映像と音が重なりあう芸術だ。この2つは密接に分かちがたく結ばれており、どちらも欠かすことはできない。

 サイレント映画時代にすら、映画は音とともにあった。リュミエール兄弟だって、1895年『ラ・シオタ駅への列車の到着』を上映する時、ピアノ伴奏を必要としたのである。

 しかし、実際には音は映像と比べて軽視されることが多い。11月19日から公開される台湾のドキュメンタリー映画『擬音 A FOLEY ARTIST』は、その傾向に対して一石を投じるがごとく、映画にとって音がいかに重要な要素かを見事に描いた作品だ。タイトルの「Foley」とは映画の動作音や環境音のこと。歩く時の足音、衣擦れ、物が落ちる音など、映画は動作や状況に合わせて多種多様な音が聞こえてくるが、それらを作る職人たちにスポットを当てたのが本作だ。

 映画は、40年以上のキャリアを持つフー・ディンイーを中心に、映画で音が果たす役割と台湾映画史を重ねて提示する。映画の発展ごとに求められる音も変化していき、その都度職人たちはどんな音を作り映画を彩ってきたのかをつぶさに明らかにする。

音が伝える感情と世界の豊かさ

 映画の冒頭、無人の音響スタジオが映される。暗がりに音を生み出すための様々な小道具が雑然と置かれている。そこに誰かの足音や、扉の開閉音、蛇口から水が垂れる音などが重ね合わされていく。それらの音は、誰も映っていない映像に人の存在感を与え、フレームの外にも世界が広がっているという感触を観客に与える。

 見せるよりも聞かせることで本作は始まる。音の持つイメージを喚起する力とリアリティを生み出す力を、この冒頭シーンは人間を映すことなく、説明セリフを用いるでもなく、大変饒舌に語っている。わずかな日常音にもこれだけの情報量が詰まっているのだと驚かされる。

 映画には、このようにさりげないフォーリーサウンドに、多くの情報が詰められており、観客にそれと意識させずに多くの感情を伝えているのだ。実際、フォーリーや効果音を全て抜いた映像というのは実に味気ないものだ。

 映画は、フー氏の仕事模様を丁寧に映し出す。映像を観ながらどんな音が必要かを確認し、実際に音を加えていくと途端に映像が生き生きとしたリアリティを獲得し始める。女性が去っていくシーンに「コッコッ」という足音をつけるだけで、そこには感情が宿る。後ろを向いて表情の見えない人物の感情が、足音で表現される。そのおかげで役者の演技も上手く見えてくる。

 フー氏は、音の研究に余念がない。世界は音に溢れている。家にいても交差点でも様々な音が聞こえてくる。人の歩き方も1人ひとり異なる。どう歩けばどう音が出るのかを日常においても常に研究し、あるいは、廃品回収現場で小道具を拾ってきては、どんな音が作れるかを追求する。音に注目しながら生活する人生とはどういうものかをフー氏は体現している。この映画を観ると、音の豊かさで世界が違って見えるようになるだろう。

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