ドアンは誰もが惹かれる男 『ククルス・ドアンの島』はアムロの“if”ストーリーに
そして、何より印象的なのが、脱走して20人の子どもたちと島で暮らすドアンの存在だ。まだ少年であるアムロを導く存在として、頼れる父親のようであり、人生の先輩として、男女問わずに惚れる男として描かれている。
対するアムロは、今作では少年であることを強調しているように感じた。『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のラストシーンを知るファンからしたら、アムロといえば歴戦の戦士であり、英雄である印象が強い。だが、本作の頃はまだ15歳の子どもであり、戦場に慣れていないことを考えると、むしろその思春期の少年らしさが、かえって新鮮に映るのではないだろうか。一方で戦場では非情な選択を下すアムロの姿に、この後の戦士となる姿を思い起こすこともできる。
この2人の対比が物語において重要な意味合いを持つ。戦争を嫌い、ジオン軍を脱走したドアンの姿は、ともすればアムロがたどることもあったかもしれない可能性ともいえる。戦争に嫌気がさし、ガンダムで逃げ出し、フラウ・ボゥやカツ、レツ、キッカと島や森へ逃げだして暮らすという選択肢もあり得たかもしれない。
そう考えるとアムロを捜索するホワイトベースの仲間たちが、ドアンを追いかけて来たサザンクロス隊のような行動をとる可能性もあるだろう。サザンクロス隊の悲哀も込めた面持ちを、カイ・シデンやハヤト・コバヤシが浮かべていたかもしれない可能性もあぶり出す。
脱走というのは戦争時の軍隊からすればあってはならないことだ。一方で戦争という暴力の場から、脱走するしかない状況もありうる。戦いの場から離れ、子どもたちと暮らすことを選択したドアンは、軍人としては非難されるものである。しかし、いまを生きる人間として、その行動を非難できる人が果たしているだろうか。
ドアンが辿ったような道をアムロは選ぶことはなかった。だからこそ、アムロは『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のラストにつながる道を選択するしかなかったのではないだろうか。今作はアムロにもありえたかもしれない、ifのストーリーを提示してくれたという意味でも、現代で作り出す意義があったのではないかと思う。
参照
※1. https://realsound.jp/movie/2022/06/post-1044459.html
※2. https://mantan-web.jp/article/20220602dog00m200016000c.html
■公開情報
『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』
全国公開中
企画・制作:サンライズ
原作:矢立肇、富野由悠季
監督:安彦良和
副監督:イムガヒ
脚本:根元歳三
キャラクターデザイン:安彦良和、田村篤、ことぶきつかさ
メカニカルデザイン:大河原邦男、カトキハジメ、山根公利
総作画監督:田村篤
美術監督:金子雄司
色彩設計:安部なぎさ
撮影監督:葛山剛士、飯島亮
3D演出:森田修平
3Dディレクター:安部保仁
編集:新居和弘
音響監督:藤野貞義
音楽:服部隆之
製作:バンダイナムコフィルムワークス
主題歌:森口博子「Ubugoe」(キングレコード)
配給:松竹ODS事業室
(c)創通・サンライズ
公式サイト:https://g-doan.net/