宮沢氷魚登場で物語が動く 『ちむどんどん』が沖縄と戦争を正面から描かない理由を考える

『ちむどんどん』が“沖縄”を描かない理由

 “朝ドラ”ことNHK連続テレビ小説『ちむどんどん』。第8週「再会のマルゲリータ」では比嘉暢子(黒島結菜)が幼少期、沖縄でしばらく暮らしていた和彦(宮沢氷魚)と再会する。

 暢子は「アッラ・フォンターナ」で働き始めて1年半、前菜を任されるようになったものの、一般常識や教養が不足していることが浮き彫りになっていた。見かねた大城房子(原田美枝子)が暢子を東洋新聞に送り込んだのだ。ここで暢子は和彦と出会う。

 和彦は新聞記者になっていた。父・青柳史彦(戸次重幸)譲りの沖縄への興味から鶴見で下宿生活を送るようになり、暢子と和彦は下宿も仕事も同じ場所になる。

 10年の空白などなかったかのように仲の良いふたり。でも和彦には恋人・大野愛(飯豊まりえ)がいる。

 世界遺産にも登録された沖縄北部のやんばるで生まれ育った野生児のような暢子が東京で揉まれ、食を通して歴史や文化を学び、腕のみならず教養豊かな料理人になっていく、『ちむどんどん』はそんなストーリーなのではないかと思うが、暢子と和彦の再会によって、それが色濃くなっていくような気がする。キーは識ることが人間を変えるということである。

 『ちむどんどん』が参考にしているという『若草物語』では次女・ジョーは文学を愛する利発な少女ではあるが、感情的ですぐ癇癪を起こすことで失敗を繰り返していた。それがやがて知性的なベア教授と出会い、彼の思慮深さに影響されていく。和彦こそ暢子にとってのベア教授ではないか。頭脳派の和彦と野性的な暢子、それぞれの長所を生かしていくことになるのではないかと予測するが、和彦もまだ発展途上であった。

 知識ばかりが先立って、取材相手の心、そして読者の心に考えが及ばない。そのため、はじめての大きな取材でヘマをやらかしてしまう。結果的には、頼りがいのあるデスク田良島(山中崇)や暢子や愛の手助けによって難曲を乗り切った。

 第8週のエピソードから、『ちむどんどん』の抱えている課題が見えるように感じる。それは、朝ドラで何をどう描くかである。『ちむどんどん』は沖縄が本土に返還されて50年を記念したドラマとされている。

 暢子は返還された1972年の5月15日に東京に出てくる。第3話で父・賢三(大森南朋)は史彦とそれぞれの戦争体験の話を交わした。その流れで優子(仲間由紀恵)は那覇で空襲に遭ったこともわかる。その晩、暢子(稲垣来泉)は夜中になにか思い出して泣いている優子の姿を見る。また、沖縄がアメリカと日本の間を行き来するような存在になっていることを賢三が自虐的に語る場面もあったが、彼が早くに亡くなることで戦争や沖縄の立ち位置について語られることはぷつりとなくなる。

 成人した賢秀(竜星涼)が遭った沖縄返還に乗じた詐欺は、ドルから円に変わることにまつわるもので、戦争の影響が少なからずあることを感じるとはいえ、そこはドラマのメインにはならず副菜である。

 もっと当時の沖縄の歴史を描くべきではないかという視聴者の声もSNSでは見受ける。朝ドラ以外の番組では沖縄のドキュメンタリーや取材が放送されている。NHKの優れた取材力をもってすれば朝ドラでも描けるはずだと期待することも無理はないのだが、『ちむどんどん』はあくまでもホームドラマの形を崩さない。貧しいながらも家族を愛おしんで生きる比嘉家の人々をおもしろおかしく描き、暢子たちが何かにつけて思い出すのは家族と食卓を囲んでいる姿なのだ。その理由が第8週で描かれたような気がした。

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