『鎌倉殿の13人』の非情な物語からなぜ目が離せないのか 三谷幸喜×大河の抜群の相性

『鎌倉殿の13人』からなぜ目が離せないのか

 愛すべき男が死んでしまった。一見怖そうな百戦錬磨の男といった顔の裏側に隠された、恐ろしく素直で純粋な部分を、なぜあんなにもたっぷり見せてくれたのだ。別れが寂しくてならないではないか。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第15回における、佐藤浩市演じる上総広常のことである。

 「あの時頼朝を殺しておけばと、お前もそう思う時がくるかもしれんの、上総。せいぜい気をつけることだ」という、第11回で斬られる直前の大庭景親(國村隼)が広常にかけた言葉を聞いた時、多くの視聴者が、その言葉を反芻しながら同じ道を辿るのだろう、広常の遠くない未来を想定していたはずだ。だが、頼朝(大泉洋)は、その言葉を反芻させる時間も余裕も与えることなく、広常を死に追いやった。何が起こったかわからないという表情で、身に覚えのない罪を負わされ、誰よりその才を買っていた男「武衛」こと頼朝を見つめ、倒れる姿は、あまりにも切なかった。

 かつて、佐藤浩市は、本作と同じく三谷幸喜脚本のNHK大河ドラマ『新選組!』でも、近藤・土方体制の「新選組」を作るためのある種の「足固め」的な意味合いと粛清のために、主人公たちに暗殺される芹沢鴨を演じていた。鈴木京香演じる愛妾・お梅の死と共に、強烈な印象を残す回(第25回)だったが、この時と、同じく「足固め」の回である本作第15回ではだいぶ印象が違う。『新選組!』の場合、芹沢は真っ直ぐな主人公の対極にいる、「滅ぼされるべき」ヒール役として描かれていたからだ。芹沢側に要因があることが十分に示された上で、彼自身もそのことを予見し、「覚悟を決めた」ともとれる言葉を口にする場面もあり、それによって主人公たちの行動はある程度正当化されていた。

 一方、広常の場合、大江広元(栗原英雄)曰く「最も頼りになる者は、最も恐ろしい」とされたために、加担するように仕向けられた御家人たちの謀反の企ての全責任を負わされ、見せしめとして殺される。この違いは、もちろん時代の違いであるとも言えるが、『鎌倉殿の13人』の非情さについて言及するのに、分かりやすい例である。

 本作は、「義を重んじる人、筋を通す人が必ずしも勝てない」物語だ。特にここ数話、第13回以降は、それを痛切に感じさせる展開になっている。広常のことはもちろん、木曽義仲(青木崇高)と、頼朝・義経(菅田将暉)兄弟との対比を通しても明らかだ。義仲の本格登場回である第13回において、義仲は「源氏が一つになって、平家を滅ぼす」ことだけを考える、思慮深く一本気な人物として描かれている。常に義を重んじ、義にもとることは自分にも相手にも許さない。自分を頼ってきたものは決して拒まず、家人を大事にする。巴御前(秋元才加)とは、互いに支え合う対等な関係を築いていることが見て取れる。

 一方、同じく第13回における頼朝は、「鹿狩りのついで」を偽って亀(江口のりこ)、八重(新垣結衣)といった元恋人たちを追いかけていた。「戦バカ」的な振る舞いをしてばかりの義経もまた、里(三浦透子)と出会った日に一夜を共にして、遅刻して信濃に連れて行ってもらえず、置いてきぼりを食ったりしている。でも、勝つのは彼らなのである。

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