『劇場版 呪術廻戦 0』夏油傑という “悪役”を考える  五条との別れ、逆夢になった志

『呪術廻戦』夏油傑という“悪役”を考える

 アメコミ映画が浸透して、より我々は“ヴィラン”という存在について考えるようになったのではないだろうか。ヴィランとは、手っ取り早くいえば“悪役”だ。では……と、ふと思う。『劇場版 呪術廻戦 0』における“悪役”は、夏油なのだろうか。そこに少し迷いのようなものを感じるのも、本作の一つの魅力に思える。

 夏油は、たしかに“悪役”の立ち回りをしていた。事実、通称『0巻』を原作とした本作で彼は百鬼夜行という未曾有のテロ計画を立て、実行に移す。それだけでなく、主人公の乙骨憂太に取り憑く特級過呪怨霊・祈本里香を手駒にするために彼を、そして同級生であり、天与呪縛で呪力をほとんど持たない禪院真希を殺そうとしたのである。本来、彼の信念を考えると乙骨を殺すことは不本意だが、それを曲げてまでも里香という、底なしの呪力を手に入れて実現させたかった理想郷とは何だったのか。その志が生まれた背景を振り返りながら、夏油という“悪役”について少し考えてみたい。

※本稿は『劇場版 呪術廻戦 0』の内容に触れています。

劇場版で描かれた、教祖・夏油として

 夏油には「呪術師だけの世界を作る」という志がある。百鬼夜行の宣戦布告をしに高専にやってきた際、乙骨を引き入れようと彼はその理想郷について語った。実現性の低さはもちろん、平気で母数の多い非呪術師を間引いて“選民”するという現実離れした思想に、乙骨をはじめその場にいた1年生全員の表情が凍る。彼の思想の異常性が強調される場面となっているわけだが、原作者の芥見下々は夏油というキャラクターの誕生経緯を「思想が偏っているやつ描きたくて」とコメントしている。つまりここで重要なのは、彼の志の「実現性の高さ」では全くない。たとえそれが無茶苦茶な考えだとしても、少数だとしても彼を信じついて来てくれる“家族”がいるという事実(つまりその志を肯定する者の存在)、そしてそれを推し進める「強い動機」とそれを生んだ「背景」が重要なのではないだろうか。

 ふと考えてみると、本作自体、主人公の乙骨が呪術高専に入学するところから始まるわけだが、それ自体が夏油のテロ計画実行の引き金になっているのが興味深い。夏油一派は結集時の夏油の言動からも、各地に散らばっていて“その時”が来るまでは待機していた。そして彼自身はというと、高専を離反してからとある宗教団体の教祖として、信者から金、そして呪霊を虎視眈々と集めて来たのである。彼にとって非術師は「猿」で、自分の理想郷にはいらない存在だ。公式ファンブックでも明かされているが、夏油は離反してから衣食住を「猿」が関わらない範囲で済ませていた。そこまで嫌悪すべき対象に囲まれる日々を、2007年の離反から2016年までの約10年間過ごしてきた夏油。そんな彼にとって乙骨の入学がベストタイミングだったのは、底なしの呪力を持つ呪霊・里香の存在にある。そもそも、取り憑かれた初期の頃は里香の起こす事件が身内関係のものに止まっていたため、高専ですら乙骨を見つけるのに6年もの時間がかかったのだ。そのため、その間に夏油がいち早く里香の存在に気づくことは難しく、乙骨の物語の始まりが夏油の転覆の始まりとなっているのである。もし仮に、高専より先に彼が乙骨を見つけていたら……どうなっていたのだろう。

 やはりここまでを振り返っても、あらゆる局面で夏油の強い意志を改めて感じることが多い。「猿」に囲まれ、いつ実行するか未定のテロのために呪霊を取り込み続ける日々。「過去編」で明かされているが、呪霊の味は“吐瀉物を処理した雑巾を丸呑みしているような”味である。呪霊操術はそれ自体が強く貴重な術式である一方、精神的負担もかなり大きい。離反直前の夏の激務で多くを取り込んでいたことが窺えるが、それでも京都と新宿にそれぞれ1000体、そして「うずまき」の4461体と、膨大な数を志の実現のために夏油が取り込んできたことに変わりない。それもこれも、唯一無二の親友と同じ“最強”の力を欲したからではないか。

「過去編」で理解できる、夏油傑という人間性

※以下、原作8巻および9巻の内容に触れています。

 そもそも、夏油が盲信的なのも本来の彼が一度抱いた自分の信念を曲げない“真面目な男”だったからだ。原作「過去編」で明かされる高専時代の彼は、誰よりも非術師を守ることを行動理念としている。術師という「力を持つ強き者」は、そうでないものを助けるべきという“弱者生存” こそがあるべき社会の姿だと考えていた。一方、当時の五条はある意味真逆の考え方で、非術師のことは心底どうでも良いと思っている節があった。それでも彼にとっての善悪の指針が夏油であったため(作者・芥見が公式ファンブックにて述べている)、非術師を守る姿勢を彼から学ぶという関係図になっていたのである。

 ただ、夏油は真面目で善い心の持ち主だったからこそ、「星漿体・天内理子の護衛任務」をきっかけに目を向けないようにしていた醜悪を無視できなくなってしまう。自分が身を挺して守ることが当たり前だと思っていた、その“対象”は果たして本当に守る価値があるものなのか。そんな途方に暮れた状態で、彼は護衛任務後から1年間、一人で激務をこなすことに。単純な肉体的・精神的疲労に重なり、“孤独”が彼を襲う。「護衛任務」で対峙した伏黒甚爾との戦いを経て“最強”になった五条は一人での任務が増えて、夏油と行動を共にしなくなった。五条と違って甚爾に決定的に打ちのめされてしまった夏油にとって、この戦いがトラウマになっていることは、戦闘時の甚爾が残した呪霊操術に対しての「烏合だな」や、「呪術も使えねえ俺みたいな猿に負けた」という言葉がそっくりそのまま夏油に染み付いてしまったことからも窺える(『劇場版 呪術廻戦 0』の乙骨戦で、夏油はぶつけていた呪霊たちを「烏合共」と言っている)。

 守るべき非術師の中には、守る価値がない人もいる。この葛藤は『呪術廻戦』本編の虎杖悠仁と伏黒恵のやりとりでも取り沙汰されていたが、とある後輩の死と、とある人物との出会い、そして映画で軽く描かれていた美々子と奈々子の“救出”を経て、夏油はついに「自分の信念」を改める。非術師を守るために理不尽に死に、消費されていく呪術師のための楽園を築く。それがたとえ、今の自分の力では叶わなくても。乙骨戦での夏油、そして彼を演じた声優の櫻井孝宏が表現していた高揚感や一種の興奮は、純粋に乙骨のような圧倒的な力を持つ呪術師が生まれたことを喜んでいたのかもしれない。彼にとって非術師の時代に幕を閉じ、呪術師の時代を始めることが重要だったので、自分だけでなくあらゆる呪術師が力を持つことには肯定的だったのではないだろうか。そういった思想は、どこか本編の漏瑚のそれを彷彿とさせる。はたまた、自分の理想郷、つまり同じ呪術師が傷つかなくて済む世界を作ることが“逆夢”になると確信したのかもしれない。そして、そうであればこれ以上辛い気持ちで生きていかなくても良いと、目の前から自分に襲いかかる殺意に対して安堵すら感じてのことだとしたら。

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