濱口竜介が描いてきた“わかる”感覚の特別さ 『ドライブ・マイ・カー』を起点に紐解く
『ドライブ・マイ・カー』の魅力
『ドライブ・マイ・カー』においては、岡田将生演じる高槻が「わかる」ことの特別さを体現している。はじめは不可解で、ある意味では敵(かたき)のような存在だった彼が、後部座席で亡き人の思い出を語るシーン。あのシーンにおいて観客はひとりの人間の、あるいは自身の視線の決定的な変化を体感する。まさしく濱口作品の真骨頂だ。
また、『ドライブ・マイ・カー』では、これまで積み上げてきた演出の手法に自己言及し、わかりやすく補助線を引く作品でもある。
家福(西島秀俊)の演出はほとんどそのまま濱口竜介の演出論と重なるし、車を降りた高槻に対する「彼はほんとうのことを語っていたと思います」と話すドライバー・みさき(三浦透子)の台詞や、「いま彼女たちのあいだで何かが起きた。次はそれを観客にまで広げていこう」と呼びかける主人公・家福の台詞は、観客への親切さという点で印象的である。本作はこれまでにないポピュラーさ・親しみやすさを獲得し、村上春樹原作の映画にふさわしい作りに仕上がっているといえよう。
個人的なピークは、みさきの故郷へ向かう車中のシーンである。家福がみさきを精神的な意味で迎え入れたことの感慨、サーブ900のサンルーフからタバコを掲げるシーンの美しさ、いかにもBGMの音量を上げたくなる場面で、あえて車のエンジン音を聞かせる素晴らしい音響のセンス――車から響くドローンが、こんなにも魅力的に響く映画は他に見当たらない。
他者と生きていくことの切実さ
信頼できる誰かの顔を思い浮かべてみる。私は、彼/彼女のことを理解していると思う。あるいは、「わかる」と思う。だがそれはたゆたう境界上のことで、誰もがあちら側とこちら側を行き来する。掠めただけの関係に真実を見出すこともあれば、よく知っているはずの誰かが、思いもよらず“不気味な”表情を見せることもある……。
ふだんそういうことをほとんど思い出さずに生きている筆者のような人間にとって、濱口竜介の映画はあまりに鮮烈である。濱口作品が熱烈な観客を獲得してきたのは、他者と生きていくことの切実さを呼び起こすからだ。誰かがほんとうのことを語ること。自分がほんとうのことを語れる状態になること。その喜びに満ちているからだ。
しかしここまで書きながら私は、切実な言葉のやり取りも、他人を深く信じる感覚も、ほとんど忘れてしまっている。この一人きりの部屋には映像も音楽もなく、誰とも言葉を交わしていない。だが、いつもそこから始めなくてはならない。
■公開情報
『ドライブ・マイ・カー』
TOHO シネマズ日比谷ほかにて公開中
出演:西島秀俊、三浦透子、霧島れいか、パク・ユリム、ジン・デヨン、ソニア・ユアン、ペリー・ディゾン、アン・フィテ、安部聡子、岡田将生
原作:村上春樹『ドライブ・マイ・カー』(短編小説集『女のいない男たち』所収/文春文庫刊)
監督:濱口竜介
脚本:濱口竜介、大江崇允
音楽:石橋英子
製作:『ドライブ・マイ・カー』製作委員会
製作幹事:カルチュア・エンタテインメント、ビターズ・エンド
制作プロダクション:C&I エンタテインメント
配給:ビターズ・エンド
2021/日本/1.85:1/179分/PG-12
(c)2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会
公式サイト:dmc.bitters.co.jp