長いトンネルを抜けたシャマラン監督の余裕あるアプローチ 『オールド』の娯楽性を紐解く
とはいえ、そのドラマは観客によって、作り手の目論見以外のものをも感じとるかもしれない。本作の製作が開始されてから、公開された現在までの間、周知の通り新型コロナウイルスによるパンデミックにより、世界で大勢の犠牲者が出続けている。この事態は、ほんの数日間で家族の別れを余儀なくされるという膨大な数のケースを生んでいる。そんな状況下にあって、本作はパンデミックを連想させずにおれない部分がある。
各国がロックダウンするなかで撮影されたという本作は、シャマラン監督自身も、もともと意図していなかったパンデミックの要素が含まれた映画になったと振り返っている。その意識は、監督自身が観客に語りかける、本作の冒頭映像にも反映しているように思える。その意味では、本作は観客に“癒し”や“活力”を届けるものになったといえる。これらは、本作の家族における親の世代、子の世代がたどり着く結末のそれぞれに呼応していると感じられるのだ。
ここで、フランソワ・オゾン監督の『ぼくを葬る』(2005年)を例に挙げたい。これは、短い余命を宣告された青年が、会いたい人に会って、自分の人生を振り返り納得しながら静かに死を受け入れていくという内容のフランス映画だった。そこには、等身大の人間としてのリアリティと説得力を感じると同時に、死に対する人間の恐怖や悲しみを癒す穏やかさがある。だからこそ、この作品には、同じように死が身近にある観客にとって、救いになり得る要素があるといえよう。しかし、それがあまりにも等身大であるがゆえに、意気消沈してしまう部分もあるのではないか。
それと対照的な“余命映画”といえるのは、ハリウッド映画『都会の牙』(1950年)である。ヨーロッパの名作映画の撮影を手がけ、アメリカに渡って監督としても活躍したルドルフ・マテの初監督作品だ。その内容は、何者かに遅効性の毒を盛られて死が迫った男が、残された時間のなかで犯人を捜索するというもの。主人公は、残った時間を大切な人と過ごしたり、思索にふけったりはせず、貴重な残り時間をただ復讐のためだけに費やすのである。それはあまりにももったいないし、リアリティにも欠けているといえるが、一方でボルテージが上がり、勇気づけられるのも確かなのだ。だからこそ観客は、手に汗を握りながら主人公を心から応援することができる。
シャマラン監督が原作に付け加えた『オールド』のストーリーには、まさにこの『都会の牙』を連想させるバイタリティがある。本作を批判する声の中には、オリジナル展開によって原作の哲学性が薄れたという指摘もあるようだ。しかし、ここでシャマランが加えたものこそ、アメリカ映画ならではの明るさであり、娯楽作だけが表現することのできる独特の魅力なのではないだろうか。
ここにきて、行き場を失っていたところのあったシャマラン作品の娯楽性は、辛い現実に抵抗するための励ましとして、一つの目的を獲得したように思える。そして、このような内容に作品をスライドさせ得た要因は、長いトンネルを抜けたシャマラン監督だからこその、余裕あるアプローチからきているといえるのである。
■公開情報
『オールド』
全国公開中
出演:ガエル・ガルシア・ベルナル、ヴィッキー・クリープス、アレックス・ウルフ、トーマシン・マッケンジーほか
原案:『Sandcastle』(Pierre Oscar Levy and Frederik Peeters)
監督・脚本:M・ナイト・シャマラン
製作:M・ナイト・シャマラン、マーク・ビエンストックほか
配給:東宝東和
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