長いトンネルを抜けたシャマラン監督の余裕あるアプローチ 『オールド』の娯楽性を紐解く

『オールド』の娯楽性を紐解く

 ビーチは多くの者にとって楽しい場所だ。泳いだり、波打ち際に足を浸したり、砂の城を作ったり……沖を眺めながら潮風を感じているだけでも、気づいたら数時間経過していることがある。そして、いつしか波の色も、打ち寄せる波の位置も移り変わり、帰らなければならない時間になったことを理解する。そうやって一日の終わりの寂しさを感じ取ることで、ビーチでの一日は、まるで人生の縮図だと思えてくることがある。

 本作『オールド』は、グラフィックノベル『Sandcastle』を基に、まさにそんな“ビーチの一日”を、“人間の一生”にそのまま重ね合わせ、その場にいる者たちが一日で一生分の年を重ねてしまうという、非現実的な“ビーチの”密室パニックスリラー映画である。監督は、あのM・ナイト・シャマラン。はたしてシャマラン監督は、本作に意匠を加えることで、何を表現したのだろうか。

M・ナイト・シャマラン監督

 『シックス・センス』(1999年)以来、作品を発表する度に、出演者よりも注目を集めるM・ナイト・シャマラン監督は、「映画監督」という存在が、年々希薄になり、「巨匠」という言葉もそれほど聞かれなくなってきている現在、映画ファンのみならず世界に広く名前が知られ親しまれている、数少ない貴重な監督である。そして、彼の特徴として毎回期待されるのが、華麗な“どんでん返し”だ。しかし、そんな彼のパブリック・イメージは、現在若干の変化を見せている。

 若くして大きな成功を収めたシャマラン監督は、娯楽大作を次々と手がけ、一時は興行的な成功を収めながら批評家からの評価をも得るという、ハリウッド監督として理想的な地位を得た。しかし、『レディ・イン・ザ・ウォーター』(2006年)が興行的に十分な成果を得られず、『ハプニング』(2008年)が芳しくない評価を受けるなど、「天才監督」としての立場は次第に揺らぎ始めることになる。そして『エアベンダー』(2010年)で、ついに「最低映画賞」として知られるゴールデンラズベリー賞を受賞するまでに至ってしまったのだ。

 そこからシャマラン監督は、いったんハリウッドの第一線から退くことになる。『ヴィジット』(2015年)では、製作費をなるべく抑え、足りない分は一部自費を投じるなど、その規模は比較的小さなものとなっていく。だがこの作品は、スケールが小さくなりながらも、同時に贅肉を削ぎ落としたように、演出の冴えを取り戻したと評価される一本となった。シャマラン監督は、自分がある程度自由にコントロールできる環境を作り出すことによって、その枠の中で自分の個性を追求する方向に舵をきったのだ。

 本作『オールド』もまた、自身が出資することで主導権を握った企画となっている。舞台が限定された内容なので、全体的な予算は絞られているが、アメリカのスタジオではなく、俳優を連れてドミニカ共和国のビーチでロケ撮影できたというのは、監督のこだわりがもたらした成果であろう。

 そして、『シックス・センス』以降、長年期待されてきた「どんでん返し」についても、ある程度は応えながらも、現在ではそこに作品の比重を置くことはなくなってきている。結末の意外性に注目することは、たしかにゲーム性があってわくわくさせられるのは確かだが、演出や映像など、映画を構成する要素がそれだけに奉仕するものになっては、楽しみ方の幅は限定され、作品の強度は失われてしまう。いまのシャマラン監督は、そのようなプレッシャーから解放され、むしろ余裕を持って「どんでん返し」を提供している感がある。

 本作のストーリーは、バカンスにやってきた家族たちが、脱出不能の密室と化したビーチに閉じ込められ、ときに協力し、ときに反発し合いながら、生き延びる方法を探っていくというもの。さらに、このビーチの中では人体の老化現象が著しく活発になり、なぜかどんどん年をとっていってしまう。

 ここでは、そんなことが起きるメカニズムを解明するよりも、目の前の危機や、次々に噴出する問題を乗り越えることが優先される。そしてその背景に、人間にとって理不尽な状況を生み出す自然の脅威が存在することが表現されているのだ。シャマラン監督とよく比較される、「サスペンスの神」と呼ばれるアルフレッド・ヒッチコック監督が『鳥』(1963年)において、ある日突然に鳥類が人間たちを襲い始める恐怖を描いたように、ここではそんな状況を生み出した自然の意志ではなく、右往左往する人間の姿が表現されることになる。

 成長したり年老いていく家族たちは、身体の変化に応じて、その考え方も変化する。少年が青年となり、中年になっていくと、精神年齢や知能も上がっていくし、中年の世代は老いていくことで、角がとれて優しくなっていく反面、挑戦心は失われ、保守的な傾向が強くなるのだ。もちろん、実際の加齢によって、全ての人がこのような精神的変化を経験するとはいえないだろう。しかし、これは人間の典型的な姿であることも事実である。つまり、ここで本作が表現したかったのは、数十年にわたる典型的な家族の物語を、映画の中でごく短いドラマに抽象的に描くことだったといえる。



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