『青天を衝け』がこれまでの“幕末もの”と異なる理由 総集編を機に前半戦を振り返る

『青天を衝け』前半戦を振り返る 

 7月18日に放送された第23回「篤太夫と最後の将軍」のあと、オリンピックに伴う休止期間に入っているNHK大河ドラマ『青天を衝け』。先ごろ全41回となることが発表され、気が付けば既に折り返し地点を過ぎている本作について、この機会に改めて振り返ってみることにしよう。

 2024年に刷新される新紙幣、その一万円札の肖像に選ばれるなど、多くの人にその名は知られているであろう実業家・渋沢栄一の生涯を、吉沢亮主演で描くドラマ『青天を衝け』。まず最初に視聴者が驚かされたのは、「こんばんは、徳川家康です」という挨拶と共に画面に登場した、徳川家康(北大路欣也)の存在だった(それ以降も家康は、ほぼ毎回、画面に登場して、解説を入れたり、視聴者に語り掛けたりするのだった)。家康は言う。

「よく、明治維新で徳川は倒され、近代日本が生まれたなんて言われますが、実はそう単純なものじゃない。古くなった時代を閉じ、今に繋がる日本を開いたこの人物こそ、我が徳川の家臣であったと、ご存知だったかな?」

 振り返れば、本作のテーマは、その口上の中に、既に端的に示されていた。幕末から明治へと至る激動の時代を描きながらも、従来のアプローチとは異なる形で、それを描き出すこと。そう、物事はそう単純なものではないのだ。本作の演出を務める黒崎博もまた、公式サイトに掲載されたインタビューで、あらかじめこんなふうに語っていた。

「これまで、幕末を舞台にしたドラマの多くは、幕府や薩長の視点で描かれたものでした。しかし、『青天を衝け』は、“第三の視点”で描かれます。それは一市民の視点です。それこそがこの時代を生きた多くの日本人の目線であり、一市民がどのように生き、どのように日本のことを考えていたのか。そこを大事にしたいと思っています」

 しかしながら、放送開始と同時に、視聴者がもうひとつ驚いたのは、江戸幕府最後の将軍である徳川慶喜(草なぎ剛)の存在が、思っていた以上に大きいことだった。無論、のちに栄一と主従の関係となるだけに、その存在は大きいのだが、今日に至るまでの前半戦は、幼少期・青年期を過ごした武蔵国・血洗島(現在の埼玉県深谷市)で過ごした栄一の半生と、水戸藩主・徳川斉昭(竹中直人)の七男であり、その後、御三卿のひとつである一橋家を相続、やがては将軍となる慶喜の半生を、同時並行的に描き出していったのだ。いわゆる「故郷パート」と「江戸パート」である。それは第14回「栄一と運命の主君」で2人がついに対面したのちも、基本的には変わらない。視聴者は、栄一の目線と行動、そして慶喜の目線と行動という2つの側面から、別々に激動の幕末を見つめることになるのだ。

 「一市民の視点」と言いながらも、慶喜の存在を大きくフィーチャーすることによって、「黒船の来航」や、大老・井伊直弼(岸谷五朗)による「安政の大獄」、新選組がその名を上げることになる「池田谷事件」、そして「長州征伐」や「大政奉還」など、これまでの「幕末もの」では定番となっている歴史的な事件は、きっちりと「当事者目線」あるいは「関係者目線」で描き出されている。しかし、面白いことに、そのどの現場にも、本来の主人公である栄一は、居合わせていないのだった。そう、栄一は、自らの恩人である平岡円四郎(堤真一)の暗殺すら、後日、人を介して知ることになるのだから。そして、これまでの「幕末もの」には欠かすことができない坂本龍馬も、本作にはその姿を現さなかった。

 最近の大河ドラマで言うならば、『西郷どん』(2018年)や『龍馬伝』(2010年)……もっと言うならば、『翔ぶが如く』(1990年)、『竜馬がゆく』(1968年)など、作家・司馬遼太郎が描いてきた、幕末から維新にかけて物語とは、まったく違うアプローチで描くこと。恐らくそれが、本作の根幹にあるテーマなのだろう。国のために命を賭した男たちの「ロマン」を描くのではなく、むしろその後の日本の成り立ちを、ひとりの実業家の目を通して描き出すこと。理想のために自ら死を選び取ることは、必ずしも正しいことではなく、ましてや美しいことなどではなく……そう、その前半戦において、もっと凄惨なシーンとなった平岡円四郎の死は、暗殺によるものだった。というか、本作が渋沢栄一という男の人生を通じて描き出す最大のメッセージは、「生き延びればいつか志を貫ける」という思いにあるのだから。

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