『名もなき歌』は恐ろしく忌むべき事実を突きつける 1988年のペルーに感じる同時代性

ペルー映画『名もなき歌』の同時代性を読む

 その一方で、『リリの楽園』では少女がハサミを手に取り楽しげに何かを作っているシーンが挿入されており、『名もなき歌』でも序盤のシーンに“ハサミ”がひとつのアイコンとして登場する。それはヘオルヒナとレオがアヤクチョからリマへと旅立つ直前の儀式的なシーンであり、無形文化遺産にも登録されている伝統的な“ハサミ踊り”としてだ。本来ハサミは何かを物理的に作るための道具である。それをアンデス山脈に生きる人々は踊りという異なる表現の手段に用いた。いずれにしても彼らにとってハサミとは何かを創造するための道具であることに変わりはない。メリーナ・レオンは不穏な記憶を切り取りながら、常に新たな何かをクリエイトしようとしているのかもしれない。

 そして本作でもうひとつ重要な点は“見える”ことと“見えない”ことである。ヘオルヒナは路上で耳にしたラジオから無償で医療を提供する産院があることを知り、そこで産み落とした赤ん坊の姿を見ることなく引き離されてしまう。画面に映らない、もしくは主人公自身にも見えない存在によって端を発したこの物語は、ペドロとともに真実を辿っていくうちに徐々に可視化され、やがてヘオルヒナは夫レオがゲリラに参加するという悲しい現実をしっかりとその目で目撃してしまうのである。

 またペドロの新聞社でラジオとして流れつづけるいくつもの情報が、終盤ではスクープという形で新聞に起こされて可視化するのも同様だ。目に見えないものが徐々に見えてくることによって、なんらかの形を持つ。しかしそれは多くの場合、悪が可視化されるばかりである。それでもヘオルヒナは海を眺めながら、その向こうにいるであろう、見えない我が子に対して歌という見えないもので愛を届けようとする。1988年よりも目に見える情報が格段に増えた現代にとってこのラストシーンは、その当時よりも数えきれない意味と教えを与えてくれるものだ。

■公開情報
『名もなき歌』
7月31日(土)より、ユーロスペースほか全国順次ロードショー
監督・脚本:メリーナ・レオン
脚本:マイケル・J・ホワイト
撮影監督:インティ・ブリオネス
音楽:パウチ・ササキ
配給:シマフィルム、アーク・フィルムズ、インターフィルム
後援:ペルー共和国大使館
出演:パメラ・メンドーサ、トミー・パラッガ、ルシオ・ロハス、マイコル・エルナンデス
2019年/ペルー、スペイン、アメリカ合作/スペイン語・ケチュア語/モノクロ/スタンダード/5.1ch/97分/日本語字幕:比嘉世津子
(c)Luxbox-Cancion Sin Nombre
公式サイト:namonaki.arc-films.co.jp

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる