社会構造が生んだ歪みに一撃を加えるヒーロー誕生 『Mr.ノーバディ』の生々しいアクション

『Mr.ノーバディ』の生々しいアクション

 そんな姿に一種の快感を覚える一方で、ハッチの一連の行動は、“男”としてのプライドを守る古い価値観に縛られているように見える部分がある。そして、ハッチの戦いが、同じように家庭で居場所のない中年以上の男性の観客の願望を体現し、ストレスをほんの一時解消するものでしかないとすれば、本作の価値は一部の観客が望むような、家父長的な価値観の存続を映画の中だけで叶えてくれるものでしかなくなってしまうだろう。しかし、本作から与えられる印象は、それほど後ろ向きなものとは思えないのである。

 その要因となっているのは、一つには暴力をかなりのところまでリアルに描いている点が挙げられる。ハッチの肉弾戦における痛烈な一撃は、少なくとも後遺症によって相手の将来を変えてしまうほどの威力があるが、逆に即死することもないのだ。人間の身体はあまりにも脆いが、悪い意味で強くもある。だからこそ、ハッチと戦った者の多くは、半死半生の状態で地獄を見ることになる。暴力はお手軽なものでなく、激しい痛みと後悔をともなうものである。その現実をアクションの中で活かしていることで、本作の暴力描写には、爽快なだけにとどまらない、真摯な姿勢が感じられるのだ。

 そしてもう一つの要因は、ハッチの戦いが、基本的に不利な状況下で行われているところである。バスの中でのチンピラとの戦いは、ハッチが自ら拳銃を捨ててしまった以上、いかに高等技術を持っていようと、深刻なダメージを受けるリスクが高く、少なくとも無傷で乗り切ることはできない。つまりハッチは、精神的な問題を抜きにすれば何のメリットもない戦いに身を投じ、不要なリスクを引き受けていることになる。

 暴力をちらつかせ無法な行為に及んでいる者を、自分の命をかけてまで止めようとする人物は少ない。現場から離れて警察に連絡するのが、市民の義務として精一杯の行動である。しかし、ハッチがその場で何もしなかったとしたら、果たしてどうなっていただろうか。ハッチが自宅で強盗との戦闘を避けたように、一人ひとりが身の安全を考えた行動をとるのは当たり前のことだ。そして、だからこそ、法や倫理を無視するような存在が、暴力や権力を振るって我が物顔に振る舞うことができるのも確かなのである。

 そんな理不尽な力の構造を破壊してくれるからこそ、ハッチは“男”の権威にただ振り回される人物でなく、社会構造が生んだ歪みに一撃を加えるヒーローたり得るのだ。そして、彼が引き受ける生傷は、われわれ観客の多くが日々受ける痛みの象徴でもある。だからこそ、彼は“誰でもない”人物であり、“誰でもある”人物だといえるのではないだろうか。

 本作といえば、監督イリヤ・ナイシュラーにも言及せざるを得ない。ナイシュラーは2013年に、自分がフロントマンを務める、ロシアのパンクバンド、バイティング・エルボウズのミュージックビデオを、FPS(ファースト・パーソン・シューター)と呼ばれるTVゲームの主観的映像を、実写で再現したことで話題になった異色の人物だ。その後、ナイシュラー監督はミュージックビデオの世界観を広げて、全編主観映像による、実験的かつ娯楽的な劇映画作品『ハードコア』(2015年)を監督することになる。

 パンク魂でハードなアクションや映像を追求し続ける、“やり過ぎ監督”のナイシュラーが、本作の脚本に燃えないはずがない。彼の感性によって、オデンカーク演じるハッチのアクションはもちろん、さらなる俳優たちの戦いが存分に繰り広げられる、クライマックスの異様な世界が実現したといえるだろう。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『Mr.ノーバディ』
全国公開中
監督:イリヤ・ナイシュラー
脚本:デレク・コルスタッド
出演:ボブ・オデンカーク、コニー・ニールセン、RZA、マイケル・アイアンサイド、クリストファー・ロイド
配給:東宝東和
2020年/アメリカ/原題:Nobody
(c)2021 Universal Pictures
公式Twitter:@MrNobody_JP
公式Instagram:@universal_eiga
公式Facebook:@universal.eiga

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