“一人称視点”の新感覚アクション『ハードコア』の映画的価値とは? 小野寺系が徹底レビュー
きっかけは、2013年にインターネットにアップされた動画だった。FPS(ファースト・パーソン・シューター)と呼ばれるTVゲームのガンアクション、また格闘アクションの世界を、実写の映像で再現したミュージックビデオは、その画期的な試みが話題を呼び、一気に口コミで世界中に拡散された。
この、ロシアのパンクバンド、バイティング・エルボウズの、「Bad Motherfucker(バッド・マザーファッカー)」を自ら監督した、バンドのフロントマンでもあるイリヤ・ナイシュラーは、この新しい手法で長編映画を撮るべく、クラウド・ファンディングで資金を集め、ついにロシア、アメリカ共同制作映画として企画を実現させることができた。それが、全編ほぼ「一人称視点」で描かれる、画期的な新感覚アクション映画『ハードコア』である。
TVゲームの世界を、実写映画で再現
本作は、まさにゲームのような設定でスタートする。事故によって部分的に機械化され記憶を失った男ヘンリーが、研究施設で目を覚ます。観客は、このヘンリーの視覚を共有することになる。その施設の中で彼は、研究者である妻の整備によって、立ち上がることに成功する。そして、失った声帯の機能を復活させようとした矢先に突然、実験施設は武装集団の襲撃に遭う。ヘンリーは、その武装集団にさらわれた妻を取り戻すため、定期的にバッテリーを充電しながら、超人的な身体能力を駆使し、敵との戦闘を繰り広げていく。
妻を演じるのは、歌手としても活躍する、セクシーさと愛らしさを併せ持った女優、ヘイリー・ベネットである。本作では冒頭から思いっきり彼女の魅力が発散されており、彼女を助けるために命を懸けるヘンリーの行動に説得力を与えている。また、『第9地区』のシャルト・コプリーも要所で怪演を見せるなど、アメリカ映画としての魅力が加えられたことは大きい。
本編では、『コール オブ デューティ』や『バトルフィールド』に代表される、主観視点による戦争アクションゲームや、シューティングゲーム『マックス・ペイン』の神ワザを想起させるような射撃、潜入ゲーム『メタルギア』や『アサシン クリード』のような暗殺ミッションなど、爆破、格闘、追跡など、近年のTVゲームをプレイしているような場面が続く。TVゲームはこれまで映画を模倣してきたが、映画が逆にTVゲームを模倣するケースが出てきているというのが面白い。
このようなTVゲームをユーザーがプレイする大きな理由の一つが、現実の自分を乗り越えた存在になって、超人的な活躍がしてみたいという願望であろう。本作は、そのような疑似体験を、現実に用意したものを使って実写化しているのだ。もちろん、ゲームのように観客自身が主人公の動きをコントロールできるわけではないが、映像自体の迫真性は圧倒的に本作が上だ。格段の進歩を遂げているとはいえ、ゲーム映像が実写以上に現実の質感に近づくことは、少なくとも現状では困難だからである。
新しい撮影方法による主観アクション
本作のアクション映像は、このような一人称視点を最大限に活かすため、様々なアイディアが投入されているが、なかでも、吹っ飛ばされている最中の敵を、さらに銃で撃ってトドメを刺したり、銃を撃ちながら走行中の車内へと突撃し、さらに爆破する車から走行中のバイクへと飛び移るシーンは、まさに自分が作品世界に突入していくような感覚に襲われるほど見事である。
そんな主観アクションを撮ることを可能にするのが、GoProという、ヘルメットや乗り物などに装着して撮影することのできる小型のカメラである。本作を撮るにあたっては、照明器具など撮影に必要な装備をまるごと装着する、「アドベンチャー・マスク」なる、化け物のようなヘルメットがスタッフによって自主製作され、映像のクォリティーをより高めているのだ。
感心するのは、爆破など予算をかけたスペクタクルシーンですら、その小さなデジタルカメラで撮影した映像を使用しているところである。思わず「もったいない」と思ってしまうが、だからこそ、そんな常識を外れた撮り方をする本作の映像は、誰もが発想できなかった“新しさ”に満ちている。そういった意味では、潤沢に予算を投入したIMAXカメラの映像よりも、この小さなカメラで撮られた映像の方が、衝撃度は勝っているのかもしれない。
また、迫真性を高めているのが、アクションが長い間、途切れずに進行していくという演出である。この長回しのノーカットに見えるシーンは、カメラの揺れを利用してカット同士の境界を気付きにくくする手法が使われている。この技は、日本のフェイクドキュメンタリー映画の代表的存在である白石晃士監督作品でもよく見られる。