庵野秀明も自身の作品に引用 岡本喜八監督作『激動の昭和史 沖縄決戦』が必見である理由
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が、興行収入80億円を超える成績で上映中だ。その監督で、『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズや『シン・ゴジラ』(2016年)を手がけてきた庵野秀明。彼の敬愛する日本の映画監督といえば、その筆頭に数えられるのが岡本喜八監督である。
1996年に雑誌『アニメージュ』が企画した、岡本×庵野対談では、庵野監督が「僕が生涯、いちばん何度も観た映画なんです。100回以上観ています」として、岡本喜八監督作『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971年)を挙げている。この作品は、庵野監督が初監督作から継続して自作にその様々な要素をとり入れている作品でもある。つまり『激動の昭和史 沖縄決戦』の魂は、庵野監督の手によって、いまも映画館のスクリーンで間接的に甦っているのである。
しかし、なぜ本作が庵野監督にとって、そこまで特別なものになったのだろうか。本人は「生理的なもの」と表現しているが、ここでは、その理由をより深く考察しながら、Netflix、Hulu、Amazonプライム・ビデオ、U-NEXTなど、一時期に比べて容易に観られるようになった本作について、映画ファン、アニメファンのみならず、日本に生きている人、そして世界中の人々に観てほしいと思える、本作の内容やその背景を紹介していきたい。
「船が七分(しちぶ)に海が三分(さんぶ)! 分かったか! 船が七分に海が三分だ!」
これは本作の劇中で、アメリカ軍の艦隊が大挙して沖縄本島西海岸に押し寄せ、海が艦船によって見えなくなろうとしている凄まじい光景を、兵士が無線で作戦本部に伝えようとするセリフで表現されたものだ。庵野監督は、これをオリジナル・ビデオ・アニメーション『トップをねらえ!』にパロディー化して引用したことで、このセリフ自体が、後に日本のアニメファンの間で有名なものとなった。
このように、実際にアメリカ、イギリス連合国軍は、凄まじい軍備、兵力で沖縄本島に上陸したことはよく知られている。沖縄でそれを迎え撃つ日本の第32軍は、圧倒的な兵力差の熾烈な戦いを強いられることになる。本作『激動の昭和史 沖縄決戦』は、岡本喜八監督、新藤兼人の脚本で、小林桂樹、仲代達矢、丹波哲郎らが演じる将校たちの戦いや作戦立案の様子、そして市民の被害を中心に、素早いカットをつなぎながら、様々な立場から見た姿によって沖縄戦の像を、事実の中に想像を含めながら結んでいく映画である。
本作で言及されるように、沖縄戦は県民の約三分の一(四分の一とも言われる)が命を落とすという、信じがたいほどむごたらしくいたましい結果に終わる。そんな絶望的な状況を招いたのは、援軍を送らないことを選択した大本営の決定にあったことが、劇中で描写される。印象に残るのは、山内明が演じる作戦部長が「沖縄は、本土(沖縄以外の日本の地域)のためにある!」と発言する場面である。この一言は、分かりやすく当時の軍部の考えを表現したものといえよう。軍は本土決戦に備えるため、沖縄を時間稼ぎの捨て石にすることに決めたのである。丹羽哲郎が演じる、沖縄戦を戦うことになる参謀長は、その報告を受けて「分かった! いまこそ本土の奴らの気持ちがはっきり分かった! “てめえら勝手に戦って勝手に死ね”と言ってるんだ!」と激昂する。
こんな絶望的な状況において、第32軍は一般市民を兵力として用いることにする。老人やあどけない少年までもが、「一人十殺」のスローガンのもと、兵士として戦わされたのだ。仲代達矢演じる参謀は、沖縄本島に無数に存在する洞窟を、兵士を隠す天然の要塞として利用しながら、持久戦を展開する方針を進言する。
“時間稼ぎ”の観点からいえば、この作戦は機能したといえよう。なぜなら凄まじい規模の艦砲射撃や膨大なロケットの発射によって、本島の地上部分は見るも無惨な状態になり果ててしまったからである。とくに、第32軍司令部となっていた首里城とその近辺は、枯れ木しか残らない、膨大なクレーターの跡が残る荒野となったのだ。
そんな無残な状況を、庵野秀明監督は、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(1997年)で再現している。ネルフや戦略自衛隊という架空の組織の戦闘によって、ネルフ本部が存在するジオフロント(地下空間)は爆撃、射撃の餌食となり沖縄戦同様の荒野にされてしまう。そして、これまで世界を救うために貢献してきたネルフを、日本政府が裏で見放していた決断を描いた場面が差し挟まれる。ネルフの職員たちは、本部の中を逃げ回るが、生き残った人々は侵入者たちの銃撃や火炎放射によって殲滅されていく。この描写はとくに、『激動の昭和史 沖縄決戦』の構図を参考にしていると思われる場面が複数確認できる。