中村倫也と磯村勇斗がぶつかり合う 『珈琲いかがでしょう』“赤”と“黒”の対比

『珈琲いかがでしょう』“赤”と“黒”の対比

 「珈琲に出会えたとき、世界が変わった気がしました」。夢中になれるもの、生きがいと呼べるもの、どうしようもない日々から引きずり出されるほど没頭できるもの……。たった1杯の珈琲が、誰かにとってはそれが人生を変える分岐になる。

 これまでも甘くて苦い様々な人生を描いてきた『珈琲いかがでしょう』(テレビ東京系)では、ついに謎多き青山(中村倫也)の、そして執拗に青山を追っていたぺい(磯村勇斗)の生き様が紐解かれる。現在の甘い眼差しと過去の厳しい表情を使い分ける青山と、絶望と愛嬌をあわせ持つぺい。そんな2人を演じる中村と磯村が、演技力でぶつかり合う珠玉の1話となった。

珈琲に救われた青山と、救われなかったぺい

 今回淹れられたのは、原作漫画に沿った「ほるもん珈琲」とドラマオリジナルの「初恋珈琲」だ。裏社会で汚れ仕事を引き受けていた青山とぺいのコンビ。手にかける人を「ほるもん(放るもん)」だと教わり、ゴミとして次々に始末していった。

 「ほるもん」と「ほらんもん」。彼らにとって、その差はよくわからない。ただ、言われるがままに仕事をする日々。きっと、いつかは自分も「ほるもん」と呼ばれる側になる。いや、もうすでに社会からはゴミだとみなされるクズなのかもしれないという悲しみを胸に秘めながら。

 しかし、ぺいにとってはそんな底辺とも言える生活の中でも、青山に出会えたことが一つの希望だった。いろいろなものが欠落し、光が一つも差さないような、常軌を逸した真っ黒な目の青山に「一生ついていく」と痺れたことも。

 しかし、青山のその目は珈琲と出会ってから徐々に変わってしまう。ぺいもホームレスのたこ(光石研)が淹れた同じ珈琲を味わったはずだった。青山の人生を変えたという珈琲を。しかし、ぺいには自動販売機の珈琲と、たこの珈琲との違いがわからない。

 同じように底辺の日々を過ごし、同じように社会のはみ出しものとして生きていくんだと思っていた青山が救われ、置いてけぼりにされたぺい。自分だけが救われなかった。それは、救いが見えなかったときよりも、よっぽど残酷な現実だ。

 「この人、ミョーなカルト宗教にハマって。“珈琲”っつう宗教」というぺいの言葉に、改めて青山の変わりっぷりと、ぺいの寂しさがにじみ出る。自分にはわからなかったものに夢中になる青山を見て、ぺいがどれほどその存在を遠くに感じてしまったのかを。

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