『シン・エヴァ』ラストカットの奇妙さの正体とは 庵野秀明が追い続けた“虚構と現実”の境界

『エヴァ』への帰還とアニメと実写の間の「第3の空間」

 『キューティーハニー』の後、新会社のカラーを設立して、庵野氏は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版(新劇場版)』シリーズの制作に着手。新たなシリーズにおいて、実写とアニメのさらなる融合と越境を試みている。この試みで見えてきたのは、実写とアニメの間にある「もうひとつの空間」の存在だ。

 『新劇場版』シリーズでは、CGを本格に活用している。最初にCGチームに庵野氏が指示したことは「CGにフェチを感じるようにしたい」だ。具体的にこれが何を意味するかは、CGI監督の鬼塚大輔氏の証言がわかりやすい。

僕たちとしては「これはCG的にどうかな?」って思うカットでも「特撮的にOK!」となるようなことはいっぱいありましたね。車が倒れたり落ちたりするカットで、たとえ挙動が軽く見えてしまっても、「ミニチュアっぽさが出て、グー!」とか。※13

 CGとは大抵、現実にどれだけ近づけるかでその良し悪しを判断される。例えば米国のアニメーション作品では、動物の毛並みなどが本物と見分けがつかないレベルのものがある。「現実」をクオリティの物差しにしているからだ。

 現実を物差しにCGを制作してミニチュアに見えたら失敗だ、しかし、庵野氏は全く別の物差しで良し悪しを判断している。

 ミニチュアの特撮空間は、100%アニメとも、100%実写ともリアリティのあり方が異なる別の空間なのだ。実写空間、アニメ空間でもない、「第3の空間」とでも呼ぶべきだろうか。

 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』では、撮影所に作られたミニチュアの中でエヴァ2機が戦うシーンがある。あのシーンはわざとミニチュアに見えるように作っているわけだが、このシリーズの制作姿勢がメタ的に表れていると言える。

 ミニチュアなどの古い特撮技術が廃れた決定的な要因は、CGの技術発展だ。ミニチュアよりも結局、高度なCGの方が「現実」に見えるから取って替わられてしまったわけだが、庵野氏は「現実」には見えなくてよいが、「特撮」には見えてほしいと発想した。実写とアニメを越境したからこそ、その間にある別位相の魅力に気がつけたのかもしれない。あるいは、庵野氏の心象風景は元々そこにあったのだろうか。

『巨神兵東京に現わる』で第3の空間の面白さに迫る

 特撮短編映画『巨神兵東京に現わる』は庵野氏にとって非常に重要なチャレンジだったろう。何しろ、幼少期に親しんだ特撮技術を本格的に駆使して作品を作ったのだから。

 特撮には「妙な異世界」観があると庵野氏は言う。彼は、実景よりも実景そっくりのミニチュアの方が感動できるとすら言う。(※14)

 その妙な異世界観は、アニメとも異なる。何しろミニチュアは現実に存在している。しかし、本物ではない。現実世界に存在している嘘とでも言うべきものだ。「現実の中に描ける夢の映像。人間が創造の中にいる違和感の面白さ」と庵野氏は特撮の魅力を表現する。(※15)

 その「違和感」は、多くの人が慣れ親しんだ実写のリアリティレベルとも違うし、アニメほど虚構濃度が濃くないことからくるのだろう。だが、その絶妙な隙間に特撮オリジナルの魅力があると庵野氏は言っているのだ。

 その魅力を再現することに挑んだのが、『シン・ゴジラ』だ。

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