『進撃の巨人』『鬼滅の刃』『約束のネバーランド』 アニメの残虐描写、なぜ“食べる"に?
『進撃の巨人』(講談社)、『鬼滅の刃』(集英社)、『約束のネバーランド』(集英社)など、近年の少年漫画をアニメ化した作品を観ていると、敵役の描写に根源的な恐怖を感じるものが多い。
これらの作品に登場する巨人や鬼といった怪物は、人類を蹂躙する圧倒的な怪物で、コミュニケーションが全く成立しない存在に見える。何より、一番の恐怖は人間を捕食することで、食べられた人間が怪物化してしまう作品も少なくない。こういった特徴は、ゾンビを題材にした作品に強く見られるものだ。
海外ドラマ『ウォーキング・デッド』の大ヒットを筆頭に、この10年ぐらいゾンビモノは世界で流行しており、国内でも『アイアムアヒーロー』(小学館)や『東京喰種トーキョーグール』(集英社)といったゾンビ漫画がヒットしている。ゾンビ化する恐怖は、新型コロナウイルスが猛威を振るう世界的パンデミックともシンクロしており、ウイルス感染に対する不安がフィクションの中に先んじて現れていたとも言える。
こういった「敵に食われること」に対する根源的な恐怖を、フィクションの中で描き、後続の漫画やアニメに影響を与えた作品として真っ先に思い浮かぶのが、1988~95年にかけて雑誌連載されていた岩明均の漫画『寄生獣』(講談社)だ。
2010年代に2部作で実写映画化され、『寄生獣 セイの格率』のタイトルでテレビアニメ化もされたため、連載終了以降にファンになった新規読者も多い本作は、今や現代漫画の古典と言える作品となっている。
物語は、謎の小型生物に寄生された人間が、頭部が刃物や巨大な口に変化する怪物・パラサイトとなって人類を襲う恐怖を描いたものだ。パラサイトは共食いに特化した謎の怪物で、犬に寄生すると犬を捕食し、人間に寄生すると人間を捕食する。主人公の高校生・泉新一は、頭部ではなく右腕に寄生されたことで、パラサイトのミギ―と同じ身体を共有する「人間とパラサイトの間の存在」となる。
人間的な感情や倫理観を持たず、生存欲求だけで行動するミギ―の冷徹さに新一は戸惑うのだが、やがて、相容れないなりに、人を食べるパラサイトに対して、彼なりの理解を示すようになる。『寄生獣』が漫画の古典として残っているのは、岩明均のクールな漫画表現もさることながら、作品の根底にある人間と非人間の共存という難しいテーマを「食」を通して描いたからだ。
もちろん『寄生獣』も突然、生まれたわけではなく、過去作のテーマを引き継ぐ形で生作られたものだ。なかでも1970年代に描かれた永井豪の漫画『デビルマン』(講談社)の影響は大きい。人類を襲うデーモン族と人類の間で揺れる悪魔と合体した人間(デビルマン)の戦いを描いた本作はRPG『真・女神転生』シリーズや、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』を筆頭とする、様々な日本のコンテンツに影響を与えており、『デビルマン』にも怪物に捕食され、怪物化してしまう恐怖が描かれていた。