実写なのにアニメ―ション? 『PUI PUI モルカー』から“ピクシレーション”を考える

『モルカー』からピクシレーションを考える

サイレント映画に似ている『隣人』

 ピクシレーションは実写なのにアニメ―ションだ。一見すると奇妙な物言いである。マクラレンの作品を音楽的な視点から分析した栗原詩子は著書『物語らないアニメーション ノーマン・マクラレンの不思議な世界』でピクシレーションを「実写とアニメーションの二大領域の中間にあるような」手法と書いている。(※8)

 中間と書かれると、まるで実写とアニメーションが分かれた世界に属していて、その間にあるものというイメージだが、果たして本当にそうだろうか。ピクシレーションという手法の発見は、むしろ、この分かれた世界に見える2つは実は共通の土台に属することを示唆するのではないか。すこし回り道をしながらこのことについて考えてみたい。

 ドキュメンタリー映画で知られた羽仁進は自著『カメラとマイク:現代芸術の方法』でマクラレンの『隣人』をこのように評している。

「『隣人』はユネスコの委嘱で作られた映画らしく、平和を呼び掛けているが全部コマ落しで撮影されている。ちょうどサイレント映画を今の映写機にかけると、人物全部がチョコチョコとびはねているように見える。あれと同じ効果が意識して使われて、生きた人間を撮りながら漫画映画のような効果を上げていた」(※9)

 羽仁進は、『隣人』をサイレント映画のチョコマカした動きと似ていると言っている。チャップリンやキートンのサイレント映画時代の映像を見たことがある人は多いと思うが、妙に素早く動いていることにすぐ気が付くだろう。

 なぜ昔のサイレント映画があのような動きになるのかと言うと、かつての映画は1秒間24コマではなく16コマで撮影されていたからだ。

 1秒間24コマで撮影されたものを1秒間24コマで再生すれば、早い動きにはならない。同様に1秒間16コマの映像を1秒間16コマで再生すれば早くならない。しかし、16コマ映像を24コマで再生すれば早き動きになってしまう。16コマの時代に撮影された映像を24コマで再生するからあのようなチョコマカした動きになっているのだ。

 これはマクラレンが『隣人』で行った撮影とも近いものがある。『隣人』ではひとコマずつの純粋なコマ撮りの他、1秒間12コマや6コマなどの速度で撮影している。羽仁進が、『隣人』を昔のサイレント映画のようだと評したのは、実際に似たような原理で作られているという点でそれほど不思議なことではない。実際、多くの人が同じような印象を抱くのではないだろうか。

 ちなみに、『隣人』はなぜかアカデミー短編ドキュメンタリー賞を受賞している。実写映画でもなく、脚本のある劇映画なのにドキュメンタリー賞とは奇妙なことだが、それだけこの技法は実写とアニメーションの境界を攪乱するものだという証左ともいえるかもしれない。

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