『花束みたいな恋をした』はなぜ観客の心に響くのか 菅田将暉と有村架純の役柄から紐解く

『花束みたいな恋をした』が心に響く理由

 川の側で慎ましい日々を送る、2010年代後半の東京の生活。それは、大ヒットして映画の題材ともなったフォークソング「神田川」で歌われた世界の現代版ともいえる。「神田川」が団塊の世代を周辺に響く代表的な歌となったのは、それが学生運動の時代に当事者だった者たちの挫折と、その後の心情を言外に救いあげるような、日本のフォークソングブームの本質をついたものだったからであろう。

 かぐや姫の南こうせつは「神田川」で、このような歌詞を書いた。

若かったあの頃 何も怖くなかった
ただ貴方のやさしさが 怖かった
(南こうせつ「神田川」より)

 この部分には、学生運動に身を投じ青春を燃やした若者たちの情熱と、その後同棲する恋人の優しさにほだされて“普通の幸せ”に取り込まれることで、かつて批判していた社会の構造に順応していってしまう自分への葛藤が凝縮されている。“普通”とされた生き方への嫌悪と、それでも“普通”にならざるを得ない悲しみ。これこそが当時、世代共通の感覚として支持された世界観であった。

 近年もSEALDsのような学生運動は見られたものの、2010年代の学生の世代にもっと大きく共通するものといえば、経済状況の悪化による貧困を経験しているということである。この世代が感じているのは、凋落していく日本社会のなかでどうサバイブしていくかという、きわめて現実的な不安であり、殺伐とした社会に飲み込まれ生活費ばかりを追い求めるようになる自分たちへの憐憫ではないのか。

 このように本作が映し出すのは、いくつかの世代に共通する“普通”になることへの漠然とした忌避や葛藤、そして自分が非凡な存在であるという普遍的な“勘違い”を、2010年代ポップカルチャーに耽溺する20代の見る世界として表現した、きわめて“普通”の物語だと理解することができる。しかし、それを映画作品として、ここまで意識的に見せるというのは珍しいのではないか。

 そして本作は、ある世代の夢みがちな若者が、厳しい現実に接続され折り合いをつける姿を描くことで、同様に社会に取り込まれていったことで、行き場のなくなった若い時代の熱を鎮めてくれる役割を担っていると感じられるのだ。ゆえに本作は、かつてのフォークソング同様に、鎮魂の意味で、ある観客たちの心に響くはずである。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『花束みたいな恋をした』
全国公開中
出演:菅田将暉、有村架純、清原果耶、細田佳央太、韓英恵、中崎敏、小久保寿人、瀧内公美、森優作、古川琴音、篠原悠伸、八木アリサ、押井守、Awesome City Club、PORIN、佐藤寛太、岡部たかし、オダギリジョー、戸田恵子、岩松了、小林薫
脚本:坂元裕二
監督:土井裕泰
製作プロダクション:フィルムメイカーズ、リトルモア
配給:東京テアトル、リトルモア
製作:『花束みたいな恋をした』製作委員会
(c)2021『花束みたいな恋をした』製作委員会
公式サイト:hana-koi.jp

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