『麒麟がくる』が描いた新たな明智光秀像 織田信長の愛憎混じった「是非もなし」
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』が2月7日にいよいよ最終回を迎え、「本能寺の変」が放送された。そこに描かれたのは、これまでにはない明智光秀(長谷川博己)の物語である。
戦勝祝いの席での、光秀に対する信長(染谷将太)の態度は、家康(風間俊介)を試すための芝居だった。まったく悪びれた様子がない信長は、あろうことか光秀に備後の鞆にいる将軍・義昭(滝藤賢一)を討てと命じてきたのだ。これまでずっと戦を続けてきた信長だが、「将軍を討てば戦が終わる。2人で茶でも飲んで暮らさないか」などと持ちかけてくる。だが光秀はこの下知をきっぱりと断った。これをきっかけに、光秀はとある決断を下すこととなる。帝(坂東玉三郎)が危惧すること、たま(芦田愛菜)の幸せな将来、帰蝶(川口春奈)の言葉、様々な出来事が走馬灯のように思い出され、とうとう光秀は家臣の前で「我が敵は本能寺にある、その名は織田信長と申す」と声を上げる。共に新しい世を作りたいとの思いを家康に託し、本能寺へ向けて出陣するのだった。
思えば、麒麟を探す光秀の人生の旅を通して本作で描かれたのは様々な愛憎の物語でもある。前半では壮大な合戦や暗殺の動機として丁寧に掘り下げられていたのが親と子の愛憎である。斎藤高政(伊藤英明)の弟暗殺に端を発した長良川の戦いでの道三(本木雅弘)・高政親子の葛藤。そして幼いころから両親との関係に悩みを抱えていた信長もまた、嫉妬の対象である弟を殺すことになる。だが、自身を「醜い子、色黒、犬のように外を走り回る汗臭い子」と称していた信長にも、帰蝶と光秀という心強い味方ができる。ここで信長はこの2人を通し、人を喜ばせること、人から褒めてもらうことの尊さを知った。両親では叶わなかったものを得た時に、この感情は今後の信長の大きな原動力となったのだ。桶狭間の戦い後に「次は美濃を盗って帰蝶を喜ばせる」とうれしそうに光秀に語った信長の様子が忘れられない。
だが、一方の光秀は、信長より遥かに広い視野で世の中を見渡していた。光秀は終始一貫して「万人にとっての健やかなる世」を作ることを第一に考えてきたのだ。2人の見る景色の違い故の愛憎は、放送休止期間を経た後半部分によりはっきりと描かれる。信長は力を増すと共に尊大になり、人の命を軽んじ、敵味方なく簡単に切り捨てるようになっていく。そんな信長に光秀は失望を覚えるようになり、やがて比叡山焼き討ちの頃から人命を守るために信長の命令に背き始めることに。いつしか2人の心は大きくすれ違い、信長から「儂を変えたのは戦ではなく、儂の背中を押した十兵衛自身だ」と突きつけられる言葉に、光秀はある種の責任を取ろうとした。光秀は自らが生み出した怪物・信長を自分の手で始末するしかなくなってしまった。「本能寺の変」は、光秀と信長のすれ違う気持ちと深い悲しみの中で起きた悲哀の物語として描かれたのだ。