細く長く引き伸ばされるヒコウキ雲のように 人々を魅了し続けるイザベル・ユペールの輝き

大女優イザベル・ユペールの輝き

 『ポルトガル、夏の終わり』のフランキーは、ハリウッドでも成功したフランス女優。どうやら長年患ってきた癌がいよいよ末期症状となり、遠くない死を覚悟しはじめた。彼女を本名のフランソワーズで呼ぶ者は縁者友人にはいない。フランス語の女性名Francoiseは、英語の男性名Frankieへと置換され、彼女の存在はこの置換によって唯一無二のものとなる。遺言めいた計略遂行のため、一族郎党、元夫、親友などをポルトガルの保養地に呼び寄せるが、彼らの動きはことごとく彼女の期待を裏切り、フランキーは何事も遂行しえないホステスとして、あたりの山道をむなしく徘徊するしかない。唯一無二のFrankieであると同時に、異国の山中で前後不覚となる無名の患者となる。このような特権的な支配者像と、匿名的な徘徊者像とのあいだの曖昧な往来性こそ、すぐれてイザベル・ユペール的なありようだろう。その相貌をあらわにした『ポルトガル、夏の終わり』は昨年のカンヌ国際映画祭のコンペティションで無冠に終わったものの、一筋縄ではいかぬ知られざる傑作として、未来の映画史にその名を留めるだろう。

 すべての人称性と単数性、複数性を往来し、演技経験というものが目指すとされる山頂にむかう往路と、復路を自在に行ったり来たり漫遊し、やがては往路、復路の方向性さえ無化するひとつの(ふたつの、みっつの……)人影。この揺らめきつつ増減する人影を、私たちはイザベル・ユペールと呼ぶ。印象的なソバカス、赤毛、蒼白い肌、くぐもっていながらも力強い発声。ユペールはいつでもユペールとしか言いようのない強烈な印象を観客に与える。と同時に、その人影は像を結んだかと思うとすぐに溶けだし、窓外にむけられる寝不足のまなざしそのものとなり、細く長い灰色の物憂げなヒコウキ雲となる。すべての人称性と単数性、複数性を往来し、さらには具体的な「をんな」へと、抽象的な「性と生」へと置換、還元されていく。ひとつところに留まらぬ、訪ねてくる正面の姿と去って行く後ろ姿を同時に見せる人影(らしきもの)。それを、私たちはイザベル・ユペールと名づけて、恐れ、敬い続ける。

 フランスの女性名Isabelleはその語源として、古代ヘブライの女性名Elisheba(エリシェバ)にさかのぼる。エリシェバは、ヘブライ人のエジプト脱出を弟モーゼと共に指導したアロンの妻である。Elishebaはヘブライ語で二分割され、“El”は「神」を意味し、“Sheba”は「豊饒さ」を表象する。つまりElisheba=Isabelleの記号は、「神は豊饒なり」である。

■荻野洋一
番組等映像作品の構成・演出業、映画評論家。WOWOW『リーガ・エスパニョーラ』の演出ほか、テレビ番組等を多数手がける。また、雑誌「NOBODY」「boidマガジン」「キネマ旬報」「映画芸術」「エスクァイア」「スタジオボイス」等に映画評論を寄稿。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。1996年から2014年まで横浜国立大学で「映像論」講義を受け持った。現在、日本映画プロフェッショナル大賞の選考委員もつとめる。
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■公開情報
『ポルトガル、夏の終わり』
Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開中
出演:イザベル・ユペール、ブレンダン・グリーソン、マリサ・トメイ、ジェレミー・レニエ、パスカル・グレゴリー、ヴィネット・ロビンソン、グレッグ・キニア
監督・脚本:アイラ・サックス
配給:ギャガ
後援:ポルトガル大使館、ポルトガル政府観光局
原題:Frankie/2019/フランス・ポルトガル/カラー/ヨーロピアンビスタ/5.1chデジタル/100分/字幕翻訳:松岡葉子 
(c)2018 SBS PRODUCTIONS / O SOM E A FURIA (c)2018 Photo Guy Ferrandis / SBS Productions
公式サイト:gaga.ne.jp/portugal

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