エル・ファニングと映画との蜜月はいかにして生まれた? 出演作に垣間見える独自のセンス

エル・ファニングと映画との蜜月

コッポラ・ファミリーとの邂逅

 『I am Sam アイ・アム・サム』(ジェシー・ネルソン監督/2001年)で、姉ダコタ・ファニングの幼少期の役として、そのキラキラした天使の笑顔を記録されたときから、エル・ファニングと映画の蜜月は、すでに約束されていた。このときの撮影のことをエル・ファニングはまったく覚えていないそうだが(まだ2歳なので当然なのだが)、ほんの一瞬のショットであるにも関わらず、そのショットには、8ミリフィルムで撮られたホームムービーのようなノスタルジーを呼び起こす親しみと、カメラに向けられた、言い換えれば、私たち観客に向けられた視線のキラメキが運命的な美しさで止揚されている。

 この運命的なキラメキそのものを最初に拡張させたのが、ソフィア・コッポラが手がけた『SOMEWHERE』(2010年)である。あの美しい『エレファント』(ガス・ヴァン・サント監督/2003年)を撮った天才カメラマン、故ハリス・サヴィデスによって撮られた少女時代のエル・ファニングの記録は、そのコラボレーションの事実だけで作品の価値を数段階に上げてしまうものだが、ここに少女の機微を撮らせたら右に出る者がいないソフィア・コッポラの感性が加わることで、『SOMEWHERE』は初期エル・ファニングのキラメキを記録した作品として、一人の少女の永遠性を証明する。ここでソフィア・コッポラは長編デビュー作『ヴァージン・スーサイズ』(1999年)で、いきなり極めてしまった、少女の表情や身振りの機微をファッションスナップ的に、且つ、ホームムービーのような親密さを込めて記録するという、自身の一番得意とする方法論を被写体であるエル・ファニングに向けている。

 同時に、ロ-ドムービーの永遠の傑作『都会のアリス』(ヴィム・ヴェンダース監督/1974年)への意識/無意識的なオマージュ・ショットさえも含む『SOMEWHERE』は、その光沢感に溢れたフィルムの質感とは裏腹に、ロードムービーとしての「ざらつき」を作品自体に落とし込んでいる。ホテルの部屋に呼んだポールダンサーをベッドからひたすら眺めるシーンや、「ダディ!」と声をかけるエル・ファニングの登場シーンが、眠りから覚めた父親(スティーヴン・ドーフ)の主観ショットであることに象徴されるように、この作品はその停滞感や退屈を夢幻のロードムービーとして表象する。父親が部屋に呼んだストリッパーのポールダンスは、愛する娘(エル・ファニング)の披露する素晴らしいアイススケートのダンスに形を変換され、最終的にはイタリアの映画祭での舞台上のスピーチで、セクシーなダンサーたちに囲まれてしまう父親の間抜けな図、というハプニングを、客席の娘に笑われるという形に変換される。これらはハッキリとそれとは明示されない秘やかな伏線の回収として機能する。

『The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ』(c)2017 Focus Features LLC. All Rights Reserved.

 ソフィア・コッポラは、このハッキリと明示されない秘やかな感情をエル・ファニングの演技にも落とし込む。大好きなカッコいい父親に複数の愛人がいることに、恐らく娘は感づいている。感受性が豊かであるがゆえに、すべてをそれとなく知った上で、娘であることを演じるエル・ファニングの受けの演技による虚無は、父親とゲームに興じる無邪気な少女の機微と共に、11歳の少女の、そのときにしか出せない生の記録をフィルムに刻んでいる。

 続いて、『Virginia/ヴァージニア』(フランシス・フォード・コッポラ監督/2011年)では、ソフィアの偉大なる父フランシスの所有する土地で、エル・ファニング曰く「ホームムービー」のような(コッポラ家のゲストハウスに宿泊。毎晩ディナーを共にするような文字通り「ホームムービー」な撮影現場だったという)を小規模の作品を撮っている。同じ年に制作された『SUPER8/スーパーエイト』(J・J・エイブラムス)で披露されたゾンビメイクの続きを見るかのような、主人公である小説家を導く白塗りの美しき吸血鬼役を演じている。フランシス・フォード・コッポラが突如復帰して制作した「小さな映画三部作」(『コッポラの胡蝶の夢』、『テトロ 過去を殺した男』、『Virginia/ヴァージニア』。いずれも傑作)のラストを飾るこの作品にエル・ファニングが招かれたことの意義は大きい。フランシス・フォード・コッポラは大きな川をスクリーン代わりに、エル・ファニングを投射するという大胆な実験によって、エル・ファニングを映画の起源に生まれたかのような幻影の女優へと近づける。ここに『マレフィセント』(ロバート・ストロンバーグ監督/2014年)で呪いをかけられたオーロラ姫の、“浮遊するオフィーリア”のイメージを重ねることもできよう。

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